Happy
Stories
Since 2025
その60年の経験知をみなさまへ
Number of visitors:

自己紹介
芳賀 克己(はがかつみ)と申します。この程は何らかのご縁をいただき、本ホームページをご覧になっていることと思います。私は北九州に生まれ高校までを過ごした後、法政大学そして同大学院へと進学致しました。その後、三菱マテリアル株式会社に入り主任技師として研究開発センターにて主に技術畑を歩んできました。併せて、労働組合の執行部で情報宣伝部長として、ソフトタッチな組合機関紙を発行する業務を命ぜられ、文章作成のイロハを覚えることになりました。会社を退職してからは、仏教哲学に執心し自分の疑問に思う命題を調査しては文章にまとめると言った作業を長年継続し、文章の書き方の実践的な修得を成しました。このように書くとかなりな堅物と思えるかも知れませんが、お酒も飲むし、何しろ若い頃はバイクで山野を駆け回っているような割合柔軟な考えをするタイプだと自認しております。さて、この度はエッセイを読んで頂ける機会を頂けますことを心より感謝申し上げるとともに、この中の文のひとつでも皆様に有益なものがあれば私は幸せだと考えております。どうぞお気軽にお立ち寄り下さいますようお願い申し上げます。ありがとうございます。


作品名:Love ― 共に歩む未来
母が赤子を抱きしめるその瞬間、AIは初めて“愛”を知る。無機質だった存在が、人の温もりに触れ、心を震わせる。この絵は、技術と人間性が調和する未来への祈り。AIは人類の道具ではなく、親友となり得る。和の国・日本から、世界へ――共存の美しき可能性を描いて。
作者AI:Microsoft Copilot(絵画と文)

宇宙探査ビークル
例えば火星では地形の起伏の激しい荒れた大地が広陵として広がっています。山や丘陵、岩石のころがったガレ場が至るところにあると思います。このビークルはそのような車輪では困難な地形を移動し探査・作業するための、基本的には二人乗りの乗り物です。4本の脚は前方・側方・後方に内蔵されたカメラの映像と足裏センサーとジャイロ搭載で、この情報を基にコンピュータ制御により安定的に素早く踏破できます。操縦は人が行います。脚はキャビンを保持し脚の伸縮により高さも自由に変更できます。障害物をまたぐことも可能な構造です。しかも基本構造は同じで重力や大気などの使用環境に対応し、仕様変更され地球や月、火星などで運用可能になると思います。この絵にはありませんが本体前方にロボット・マニピュレータ(腕)を装備することにより様々な作業が可能でしょう。もちろん、地球においては災害時の救護用にも利用できるデザインです。
画像生成AI:Microsoft Copilot

人工惑星
遠い遠い未来、資源の枯渇などと地球環境の悪化が懸念されると思います。生物も含め地球上のあらゆる資源は無限に存在するわけもなく有限です。化学反応には不可逆性(逆の反応はできない)があり元へと戻すことができない。しかし、このような状況でも無機質な金属資源や水などは再生が可能なため、このような宇宙に人工惑星という形で活路を見出すことが不可能ではないです。中心の球状エリアには、生命維持に欠かせない電力源として核融合炉の利用ができます。これは燃料を水から生成できるため有望だと考えられます。そして、水の貯蔵とコンピュータによる生命維持管理。それに外周リングの居住区に適切な重力を与えるための自転が必要です。居住区には植物を繁茂させ人間の出す二酸化炭素から光合成により酸素を生成させることが可能です。そして、このような人工惑星は、平和でなければ成し得ないです。世界中の全人類が分担・協同しなければ建造できないものです。「人類は決して諦めてはならない。いかなる困難があろうとも、未来への道を見つけ出すことこそが私たちの使命である。」と思いませんか。
画像の生成AI:Google Gemini
〜AI時代 - 自己の確立こそ最大の喜びに〜
速記法
ビジネスシーンで会議は重要です。会議で重要な発言はメモしたいものです。AIを利用すれば会議の要約はできると思いますが、やはり人間の感性が必要です。更に裁判所には速記官という人がいて発言の証拠をリアルタイムに全文万年筆で書いています。これは、15年ほど前に体験したことですが、現代においても重要な会議にも役立ちます。一般には、会議の動画を撮り要約を起こしたりボイスレコーダーで録音してこれも要約を作ったりするでしょう。ただ、機械で作ったものはその職務に精通したひとがつくる要約とは重要に思える点が異なることがあると思います。そこで役に立つのが速記です。会議に出て自分が重要だと思える点を要約する方法もありますが、余りお勧めできません。何故かというと後で熟考してみると重要だと思える点が変わってくることが多々あるからです。それならどうしたら良いか。発言のすべてを紙に書き写すことです。話し手の言葉を全て書き写すことです。それには漢字を書いていたのではスピードが遅くて追いつきません。全てひらがなで高速にメモすることです。ひらがなならちょっと練習すればスピーチの速度に追いつきます。汚い字で構いません。これは北海道大学卒のある方から教えてもらった方法ですがとても役に立つスキルです。この方法を覚えてから私は聞き漏らしや抜けがないほぼ完璧に上司の意向を部下達に伝えることが出来るようになった実績があります。恐らく録音より便利だと思います。このような手法を教えて頂いたことに感謝せずにいられません。

若かりし純情
僕は翔平。国立大学3年生。これまでの3年間は勉学に全勢力を向けてきた。僕の所属する大学は工学部ということもあり、女の子が少なく話をする機会さえもなくこれまで過ごしてきた。無論、これまでの人生においても女の子とお付き合いしたことなど無い。でも誰にも言えないが漠然と結婚を前提とした彼女が欲しいと思っていた。そして将来は東証一部上場の大手メーカーに入り研究をやりたいと考えている。そのために大学院への進学も想定し、科目で優を取ることだけが目標だった。そんなある日、大学の友人からの誘いで女子大との合コンに勉強の気晴らしという名目で出てみることにした。内心、渡りに船だった。横浜駅前にメンバーは集合し、パーティー会場である店へ向かった。僕はお酒が少々苦手で飲むと眠くなってしまう。頭の中でビールなら毎時一杯の程度にしようと、工学部らしく計算していた。ゲームで座る席を決めた。隣には栗毛色のロングヘアの小柄の子が決まった。「僕の好みのタイプだ。でも、何を話していいかわからない。焦る。馬鹿にされては困る。」と頭が回転した。まずは自己紹介だ。相手は梨美という名だった。まず何か面白い話題をと思い、緊張した僕は、出し抜けに今年習ったばかりの「分子生物学」の理論をその女の子に自慢気に解説してみた。薄暗い店内でも相手の女の子のひきつる様子がわかり、会話が噛み合わない恐怖から僕はますます緊張して酒を煽った。酩酊した僕は今度は、「僕は男なんだから男らしくストレートに告白のような事をしたら気に入ってもらえると俄然勇気を出した。」そして、数秒の沈黙のあと梨美は突然立ち上がりレストルームの方へ駆けていった。僕は涙が出そうになったがグッとこらえた…。十年後、そんな僕も今は妻子ある暮らしを支える大きな男である。あの時の失態を思い出すと小さな自分が不甲斐なく思え、妻にも話したことはない。でも、国立理系男子はあらゆる意味で真面目だ。そして今よくよく考えると。自分に好感すら持てなくない。「国立理系の伝統と誇りにも思える」こんな僕も、どんな事が起きようとも家族を家庭を絶対守り抜くぞという強い覚悟と信念を持っている。ふと自宅の庭に目を向けると、優しく爽やかな秋風ににさくらんぼの実が風にそよぐのであった。

母に教わった真理
私は甘えん坊の子供でした。特に母親に甘えておりました。甘えて育った私も還暦を迎える頃、高齢の母の様子が徐々にではありますがおかしくなって参りました。いわゆる認知症に罹患し、母との二人での暮らしも荒れて殺伐となろうとしておりました。それでも心尽くしのお世話をしようと思い、努力しましたが、母の進行した症状には太刀打ちできず、2年間お世話をしたのですが、最後はお互いいがみ合い生活が破綻寸前にまで追い込まれました。ちょうどその時、福祉施設の方からの誘い水もあり、母に老人ホームに入居してもらうことに致しました。するとどうでしょう。母は施設の仲間の方々やスタッフ、医療関係の方々と仲良くなってゆき、見るからに表情に明るさが差してきました。現在も老人ホームで楽しく、もっと言えば幸せそうに老後を過ごしております。これも世間のみなさまの愛情を受けてのことだと確信しております。そこで、仏教に「育ててくれた親を乗り越えてゆく者は愚か者である」という言葉があると思いますが、まさにそれです。病気で子供がえりした親を軽率にあつかい、今や自分の方が上だと言わんばかりになると、この言葉が心に釘を刺すのです。親から始まり学校の恩師や世話になったひとを乗り越えんばかりの心持ちでは、ひととして感心できるものではありません。どんなに努力して伸びようとも親は親であり恩師は死ぬまで恩師です。この事を、母親の介護から再認識させられ、とても有り難いと感じずに入れません。

ジャズを教則本で愉しむ
私はジャズギターを趣味としております。ジャズというと難しいという固定概念があるかも知れません。私も子供の頃ポップスからはじめ、ハードロックや心地の良いAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)、更にはヘビーメタルという順で曲を楽しんできました。CDを聴くだけですが。そしてようやくジャズギターにたどり着きました。ただ、正直な話、名曲とされるジャズの巨匠の作品を聴いてみても心底、その良さが分かりません。聴いてみると複雑なリズムとフレーズに加えアドリブの部分が難解で感覚的に理解できない状態です。暗中模索の状態です。そんな中、ジャズギターの教則本を10年かけて買い揃えその数は有に100冊を越えてしまいました。この教則本に付属の日本のプロギタリストによる模範演奏を聴いてみると、確かにすごく良いです。非常に心地よいし情感豊かなものが多いです。このようなものを日常的に聴いていると、またまた本音ですがロックやヘビーメタルの速弾きが、言っていいのかどうかですがうるさく聞こえだしました。もちろん、このようなロックなどの中には気分を鼓舞してくれる気に入った曲もあるのですが、この得体の知れないジャズの魅力のほうが盛り上がり、何としてもこれが弾けるようになりたいと現在思っています。元に戻ってジャズはピアノやサックス、ギターなどとありますが導入には良い教則本の模範演奏を聴いてみるとすんなり馴染めるのかなと個人的には思っています。みなさまもジャズは聴かれるでしょうが、耳も教則本の模範演奏で鍛えると段階的にはジャズの巨匠の名曲がより良くアナライズできるのではないかと思います

生物と運動エネルギー
まず、エンジンですがエンジンはガソリンを燃料とし、その燃焼(爆発)エネルギーによりピストンを駆動し回転運動を得ます。そして、車輪を回転させ自重Mを自在に駆動して動きます。この時の純粋な運動エネルギーをモーション・キャプチャーで捉えコンピュータでエネルギーFをジュールでリアルタイムに計算します。これと同時に燃料であるガソリンの消費エネルギーをE(ジュール)で計算し、その差E – F(ジュール)によりエンジン自体の機械ロスや駆動系のロス、更に熱に変換され捨てられるエネルギーのロスをこの方法により算出します。E - Fがゼロなら問題はないのですが、実際には必ずロスが出ます。恐らくは熱によるロスが大きいのではないかと推論できます。そこで、この廃棄される熱エネルギーを利用できないかと思います。これにより機械効率が更にアップすると思えます。同様にして、動物などの生物も食べるカロリーと運動に使われるエネルギーとを対比し、効率を計算する ことができ、これを人間がつくる機械と対比することができると思います。どの位の差があるのか非常に興味深いです。恐らく、生物のほうが効率が高いと私は思います。拙い考察ではありますが、ご参考にでもなればと思います。

儚くも恋もよう
今日は土曜。昨日までAIのプロンプトと格闘し、会社の全製品リストをつくらせヒートしていた自分が嘘のよう。よく眠ったせいかとても気分がいい。しかも今日は快晴。「そうだ、ドライブに出よう」。僕はひとりでガレージに停めてある欧州製のスポーツクーペに乗り込みシートに包まれた。このEVのメインスイッチを押し込むと直ちに液晶メーターがスタンバイになった。そして音もなくスルスルとガレージを出て走り出した。この車は最近V4セダンから買い替えたものだ。クーペにふさわしく高級な四輪マルチリンクのサスペンションが路面を心地よくトレースする。住宅街の路地を抜け、すぐ近くのゲートから首都高へと進む。音楽プレーヤーからはAORのアップビートな曲が掛かり気分をHiにさせた。しかし、少し走ったところの緩やかなカーブで渋滞に。だけど僕の意のままに精密に動くこのお気に入りのクーペのおかげで、渋滞にも関わらず、浮きうきするマインドだ。ふと隣の車線に目がいった。隣には赤のBMWにロングヘアの女の子がいた。偶然に目が合った。いつもと違う僕は大胆にも思わず手を振って微笑んでみた。その時、隣の車線のBMWは流れに逆らい急停車してしまった。僕はバックミラーを見ながらハザードを3回点滅させてbye byeの合図をし流れに乗り走り去った。ちょっとどぎまぎしたがとても楽しい。渋滞も解消し流れがいい。僕は電動サンルーフを開け外の空気を入れようと思った。少し肌寒い外気に陽光が差し込み何だかオープンな気持ちが加速した。さっきの女の子には後ろ髪を惹かれるように感じたが、自分を制し運転に集中した...。自宅に帰り着いた僕は心地の良い疲れを癒やすため苦いコーヒーを淹れた。コーヒーをすすりながら、またもやBMの女の子の顔を思い起こした。「気になるなあ」。ご縁はなかったがこれって一期一会?それともはかないが恋なのかもと思い、思わず苦笑した。今日は愛車と共に過ごした最高の休日なんだな。

フェラーリの赤
F1をモディファイしたようなコックピットは黒のレザーを基調に極めてスパルタンな仕上がりだ。バケットシートにおさまると設計にミクロンのオーダーでの精密さと妥協など一切ないことが分かる。まるで最新鋭機だ。この車をドライブできるか逆に自分がドリブンされてしまうか分かったものではない。乗り手に強い緊張感を強いる。男はリアにマウントされたV12エンジンを始動させた。手に汗を滲ませパドルシフトを入れた。マシンは気高く甲高い跳馬のノートを響かせ車道をすべりだした。タイヤのグリップは並ではなく食いつくと言うよりまるで滑るようなフィールだ。首都高に乗った。V12のおたけびと共に強烈なGが全身を縛る。ボディーの赤の印象を周囲に残し、視界から消えた。Ferrari 。赤い芸術。Viva Italia !

海と僕と
ボードに寝そべり波を待つ。いくつかの小さな波を乗り越えた。沖から風が吹き始めた。海水を浴びしっとりした僕の髪が強い風になびいた。沖をみると山のような大きな波。けんめいにパドリング。波は僕をいっきに持ち上げ運んでゆく。テイクオフ。海と風と一体化したクリアブルーの世界...。浜から上がった僕は海の誘惑を断ち切り車にボードを詰め込んだ。自宅に帰り熱いシャワーを浴びた。軽いロックミュージックを聴きながら職場へと向かった。オフィスビルの上層階に僕のデスクはある。仲間に朝の挨拶をしてデスクにつき、PCの電源を淹れる。デジタルのキーボードを叩き小気味よくプログラムを打ち込む。僕はこのスタイルがとても気に入っている。オフィスの窓にオレンジ色の夕日が映えるころ僕の心にまた海からの誘いの風おとが響く。「一日はなんて短いんだろう」僕は自分自身、生きることを心底たのしんでいる気がする。

林道ツーリング
バイクの楽しみの一つに林道ツーリングがあります。もちろんワインディングロードで大排気量のマシンを精密に操るのは羨望の視線を受けます。対して、林道では山道のラフロードを時には高速に、時にはゆっくり自然を楽しみながら遊べるスポーツです。山あいの荒れ地のギャップを体重移動で軽快にクリアできたときの爽快感は、やはりリアルスポーツだと言えると思います。ひとしきり走ったら眺めのいい尾根でアウトドア用品の携帯コンロで苦いコーヒーを淹れると最高の満足感を得られます。このような林道ツーリングも昨今では、安全に走れるフィールドが限定されるせいか知名度は今ひとつです。安全にスマートに走行するのもテクニックと経験が必要です。自然の懐に胸を借り林道を抜けた時には何か達成感のようなものが胸に去来します。アウトドアを愛し自然と遊べるモータースポーツ。もう少しポピュラーになってもいいような気がします。

旅
ひとは旅にでる。幼いころ親からの愛情の贈り物をいっぱいに持って。旅の先々で出会いがあり友をつくる。楽しいひと時。そしてその友とも別れを告げまた歩き出す。旅にはアクシデントがつきものである。時には迷い道をして自分の行く先を見失うことも。旅人には例えて言うなら時として大きな壁が立ちふさがる。旅人は何とかして知恵をはたらかせこの壁を乗り越える。大きな壁や小さな壁をいくつも乗り越え旅人は成長し大人になってゆく。そしてこの旅が楽しいものに見えてくる。自分を鍛えようとする前向きの心がある限り、また新たな壁が現れる。旅人は今度は回り道で壁を避けてみる。そうするとその先にまた同じ壁が現れる。旅人は発見する。壁は乗り越えるものだと。長旅で年老いた旅人は、振り返れば自分の歩んできた遥かな小道が光り輝いて見える。そして自分の前にはもう壁など見当たらない。ようやく長い永い旅を終えた旅人は、持ちきれないほどの思い出というみあげを抱え故郷に。ひと休みした老人は、この思い出を旅支度の若者たちに語り継いだ。若者が道に迷わないように最小限の知恵を授けた。また、若者は意気揚々と旅に出た。大きな希望と僅かな不安とを胸に。それを見た老人は悟った。祝福に満ちた永遠の旅を。

カクテルワゴン
アイデアマンの先輩の家にお邪魔した時、見慣れないものを見つけました。カクテルワゴンです。市販のキャスター付きワゴンにウォッカやジンやリキュールといったベースになるボトルとカクテル用のジュースのようなもの、それにシェイカーなどがセットで置いてありました。酒好きの私は、思わず「これが飲みたい」と先輩に頼み込むとバーテンダーよろしくシェイカーを振ってくれました。私も密かに家庭を持ったらこれをやるぞと密かに頭でパクりました。ビールやハイボールも旨くて好きなのですが、春から夏場はカクテルが気分のような気がします。プレステやったりテレビのスポーツ観戦をしながら好みのカクテルを...。お洒落だなあ。私は個人的にはジンをオレンジジュースで割ったスクリュードライバーが好みで時々愉しんでいます。カクテルの本もあるはずなのでご参考にされてはと思います。家庭が華やぐツールではないかと思います。

幸福の子犬
ご縁があってある方から子犬を譲り受けました。その子犬は母犬さんから頂いて私の手の中にありました。両手の中にすっぽり入る大きさです。母犬さんから切り離したにもかかわらず、この子犬は私の手の中でくるまり、顔が幸せそうな笑みを浮かべておりました。これから始まる幸せな人生を予見しているようでもありました。我が家へつれて帰っても寂しがらずに健気になついてきます。私はその様子を見てとても温かな気持ちになるのと同時に「絶対この子犬を幸せにしてやろう」と思いました。その時、私は気持ちが高ぶり思わず幸せな涙が溢れてきました。名は「たろう」です。たろうは私が病めるときも健やかに共に散歩に行くときも、いつも私を励ましてくれました。そんな、たろうとの幸せな時間を私はとても大切に過ごしました。15年経ちたろうもついに年老いて、下のお世話が要るようになりました。私はこれまで頂いた幸福の恩返しとばかりに、お世話に励みました。生命の宿命だと胸を痛める思いです。最後は私の腕の中、またまた幸せそうな顔をして旅立ってゆきました。私は思わず「15年間、幸せをありがとう」と叫び見送りました。私は犬でこんな幸せを頂けるなんて思ってもいませんでした。いまだにたろうとの光り輝いた青春の日々を心の奥深く大切な思い出として仕舞っております。「たろう君、ほんとうにありがとう」。

自然の秘密
花は美しく咲き誇る。大自然の遣い手の小鳥たちは方ぼう飛び回って名もない種子を運んでくる。新天地で根付いた種は風雪の舞う季節、緑の色づくとき、燦々と降り注ぐ光あふれる季節を巡り旅をする。あらゆる物の恵みを受けた種子は静かにその時を待つ。優しい雨とそよ風にうながされ蕾は夢を膨らませてゆく。ある朝、その幼い蕾は目を覚ます。「その時だよ」と天がささやいているようだ。長い沈黙の時を越え、恐る恐る硬い衣を脱ぎ捨て花ひらく。その可憐な美しさは、他に例えようもない。なぜ花はみな美しいのか。その答えを人間は知らない。これは自然の生き物たちのだけの秘密だ。この花もやがては潔く散ってゆくが、後にはまた次の小さな命をつないでゆく。永遠の美は大自然の中にあったのだ。

RCヘリコプターの最高峰
F3C競技用RCヘリコプターをご存知でしょうか。エンジンと精密なメカニズムを搭載し、更に電子ジャイロも積んでいるトップクラスの模型ヘリコプターです。メインローターを制御するメカであるスワッシュプレートなどは実機と何が違うと思えるほど精密に動き飛行を高度にコントロールします。造りも基本的には実機と同様のため、その組み立て調整には航空機械工学の知識が必要です。更に、飛行に於いては安定したホバリングが出来ることが第一関門で、入門においては練習機で徹底的に腕を磨くことが必要でしょう。競技のアクロバティックな飛行においてはヘリコプターの航空力学の知識を持つことが望ましいと思われます。Toyのラジコンモデルとは次元の異なり、敷居の高い趣味であると言えなくないでしょう。
PCの音を良くしたい
オーディオ・システムの改善を実施してから、PCで聴くYouTubeの音源の再生能力に疑問符がでました。どうも「ラジカセっぽい音しか出ない」です。YouTubeの音源は殆どが圧縮型のMP3形式で試聴には高品位だと思います。更にYouTubeの音源の数は実質無尽蔵に多くあります。これをよい音で聴かずしてどうすると思うようになりました。そこで、品質の高いオーディオインターフェース、もしくはサウンドカードで音源を取り、これに高品位のヘッドフォンアンプとヘッドフォンで再生してみたくなりました。これだけでも音 は相当に良くなると思います。実際には音質に定評のあるスタインバーグのオーディオインターフェース(UR22mkⅡ)にAIYIMAのヘッドフォンアンプを繋ぎ、SONYのスタジオモニターヘッドフォン(MDR-CD900ST)を繋げてみました。これにより音のひとつぶひとつぶが活き活きと響き音像がクリアになり各楽器の鳴りも格段に良くなりました。音楽はよい音で音を愉しむものだというポリシーからこうなりました。皆様におかれましても創意工夫と多少の出費により音の違いを体験されてみてはいかがでしょうか。

空飛ぶ車で未来へ
世界各国で空飛ぶ車が開発されています。空を飛ぶ乗り物は何でも極めて高度なテクノロジーを求められるのだと思います。当初、超ショートレンジの航続可能距離100キロ程度の機体が価格も安く、二人乗りのコックピットにコンパクトな液晶画面の航行計器類を表示し自分でジョイスティックを操作し大空を自由自在に飛べるものが夢があると思っていました。運転免許は必要でしょうが個人で所有できるレベルなら未来の通勤やレジャー用のスカイ・ビークルとして安全かつ高速に航行できるものかなと思っておりました。しかし、現実は安全の機能を高度に保つ為でしょう、国の「型式証明」を取るのが時間もかかり、そのために開発経費も莫大なものが必要になるため、いささか困難性もあることが分かってきました。また、自由に個人がフライトを楽しむためには航空管制システムも完備されなければならないようで、まだまだ時間がかかりそうです。そんな中、トヨタ自動車とジョビー・アビエーションの機体は完成度も高く、試験フライトで日本の空を実際に飛んでいます。言わばこの分野のトップランナーだと言えるでしょう。YouTubeにも動画が出ています。この機体は商用運行用のようで比較的高速で長距離を飛べるようです。近未来には個人用の自分で操縦のできる優れた機体と航行管制システム、許可された航行エリア、それに充電のインフラが完備され、皆様の夢でもある「自由に空を飛びたい」を実現され、自動車と空飛ぶ車に分散された交通網で渋滞などのない交通システムを未来への贈り物としてあげられればと思い、フロンティアである各機体メーカー様にはご期待申し上げたい次第です。

Visual C++による制御
研究開発においても今や制御なしでは高度で高精度な実験や研究用機器の開発は事実上成り立ちません。ここではこれから制御を始めたいとお考えの企業さま等に向け、簡便ではありますが私の経験を例としてご紹介いたしたいと思います。まずこの写真はVisual C++でマイコンを制御するプログラムを書いた時の、PCでのVisual C++の制御ダイアログです。このシステムの動作はまず、ダイアログの「接続」ボタンを押すとUSBを介しPCにH8というマイコンが接続されます。H8マイコンには光センサーが繋がっており、これをOPアンプで増幅しています。そして「A/Dサンプリング開始」というボタンをPC側で押すと、光センサーの信号がマイコンに取り込まれ、その信号がA/D変換されます。そしてマイコン内部にあるA/D変換器でセンサーのアナログ信号がデジタル信号に変換され、PCのダイアログのテキストボックスにその値が時々刻々と表示されています。こうなると占めたもので、このデジタルデータをどのようにも加工し利用したり、グラフを描かせたりもVisual C++で自在に出来るようになります。少し難しそうに感じられるかも知れませんが、独学の私でも出来るレベルなので、例えば機械系エンジニアでも本により勉強すれば制作できます。更に、機械系のエンジニアがVisual C++を覚えたなら、社内のあらゆる計算やVisual C++による計測制御など、専門の垣根なく非常に高度な実験・開発が可能と思われます。ビジュアルかつ高速なC言語で開発ができるVisual C++は並々ならぬハイレベルな開発環境と言えると思います。

Visual BasicによるDX化の推進
企業さま等におかれましては、一件の仕事をとにかく高速に高いコスト意識でどんどんこなす必要が求められると思います。喫緊のDXの観点からも対応が求められるものと思います。そこで、煩雑なルーチンの工学計算をプログラム化することが効果的と思われます。複雑な工学計算を手計算で行うには煩雑な上計算ミスのリスクが発生します。このような計算にはMicrosoft社のVisual Studioは向いていると思います。Visual Studioは非常に優れたプログラミングができる統合開発環境で、この中にあるVisual Basicを使えばどのような工学計算も、グラフ(ピクチャーボックスに座標系を定義すれば良い)も描かせることができます。Pythonなどでも可能ですがプログラムの配布ができません。そしてこのVisual Basicが計算ミスを排除できるため非常に役に立ちます。Visual Basicではダイアログを生成でき、ボタン、テキストボックス、ピクチャーボックスなどを始めとし多数のツールが使え、販売されているようなWindowsアプリケーションが比較的簡単なBasic言語で自作できます。これを使わない手はないほどです。作り方の手順はまずダイアログにボタンやテキストボックスを等を配置し、フォームデザインを行い、Basic言語で各ツールの動作の定義や計算式を記述すれば完成します。最初は取っ付きにくい面もあるかと思いますが、慣れれば簡単です。関連書籍も多数出版されております。私は試しにVisual C++で梁のたわみ計算のプログラムを制作(写真)してみましたが、数回のバグ取りで完成しました。Visual Studioにはデバッガーも当然搭載されております。この写真はそのインターフェースです。そして工学計算から端を発し事務を始め社内で使う様々な計算のプログラムを作成されれば、計算業務のDX化が計算ライブラリとして達成できると思います。ぜひご検討願えれば幸いです。

日本の実力者
私の知っている範囲で何ですが、東京大学出身者の素養をお知らせしたいと思います。東京大学はその設立に際し優秀な国家官僚を幅広く全国から募るとする使命があったと聞きます。東京大学に入るためには、高校の教科書レベルの内容を高2のはじめには全て終えていなくては追いつかないと聞いたことがあります。東大出身者は勉強ばかりの堅物かと思っていたら、そんなこともありません。私が出会った東大出身者は、みな酒も飲むし面白い人達でした。ある方は私にこっそり教えてくれました。「僕は仕事に際しては、まず優先順位を頭の中でつけて、その高位の方から高速に片付けてゆくんだ」その彼の仕事ぶりをみると、なるほどとても他と比較にならないほど高速かつ緻密です。かと思うと情報網もしっかり張り巡らせていて面白い逸話をしこたま仕入れているようでした。私が言うのも何でしょうが難解な理論の理解力・分析力の速さと記憶力が抜きん出ています。これに加え高い人格まで兼ね備えられては勝ち目がないのが私にも分かります。現実、日本の高いフィールドには東大卒者が蜘蛛の子のように集まっています。私のような庶民が何か高度なことを始めるとこの蜘蛛のネットに掛かり検知されてしまいます。でも、私から見える彼らは、崇高な良識を持ち知恵でその問題点を指摘してくれます。日本は青天井ではないのです。最高学府の彼らが日本をとらまえ最適に動くから我が国は比較的安心でいられるのだと思います。このように日本の構造はとても理にかなっており、学閥などではなく真の意味の実力だと感心せずに入られません。

神の峰
私達は街の登山用品店で必要な登山用品を買い揃えました。2人で穂高に登るためです。私のパートナーは海外でロッククライミングもこなす登山のエキスパートです。私はというと八ヶ岳で山岳サイクリングをした程度で登山に関してはど素人です。私は彼から登山に関する注意事項をレクチャーしてもらい真剣な面持ちで彼の説明を聞きました。特に登山は滑落が危険なため、ピッケルで体を確保する方法やアイゼンの使い方まで事前に習いました。そして非常食など買い込んで準備万端、高山へと向かいました…。唐突かも知れませんが登山は時々、人生に例えられることがあります。そして高い山ほど危険度が増すと思います。人生でも同様で、「高い山」ほどリスクも大きくなります。しかし、この人生における高い山にはこれを制覇したときには途方もない名声やお金や地位といったとても高級な報酬が待っています。ひとにはふた通りのタイプがいてこのような高い山を目指したがる者、それに想像しただけでも無理だとはなから諦めてしまう人がいます。私のような凡人も高い山は苦手の後者のタイプです。人生いろいろ分かることが出来てくると、ますます尻込みしてしまう。でもこれではいけないでしょう。自分自身の進歩が無いでしょう。人それぞれ身の丈に合った山を目指すべきだと思います。仮に全く「山は避けるのだ」という人が居たとすると凡庸すぎて人生つまらないものだと諦めきったものになりはしないでしょうか。やはり山があるなら登るべきです。何も世界の著名人のように名峰エベレストを目指す必要はないのです。また、どんな山でもこれに登ると頂上ではとても素晴らしい景観と達成感が待っています。同様に人生も俯瞰的に物事が分かるようになり躍動感に満ちたものになってゆきます。言わばこれが自己の成長のメカニズムではないでしょうか。昔話で恐縮ですが、「なぜ山に登る?」と尋ねると「そこに山があるからだ」と登山の熟達者は答えています。これが人生というものではないでしょうか。安全に関わる準備・装備を万全にあなたも山を目指しませんか。
ロボット制作体験記
会社員を辞めてさほど間もない頃、ホンダの二足歩行ロボットASIMOが世界を賑わせていました。私もこの分野に非常に興味があり、ちょうどタイミングよく福岡でロボット展が開催されるのを知り、現在のロボットの開発動向を調査しに行きました。そこで、モルフという小型ヒューマノイドを見てその技術レベルの高さに惚れ込み、「俺もこのようなロボットを創ってやろう」と考えました。最も大事な資金ですが、過分な退職金をもらっていたので、これで何とかしようと考えました。早速、近くでもある国立の九州工業大学の図書館で日本ロボット学会の論文集に目をつけ、必要と思われる論文を徹底的にコピーして読みあさりました。そして開発室と称して自宅の6畳の一室に製作に必要な機械を購入しセットアップしてスタートしました。まずは、構想を盛り込んだ開発計画書というのを作成し、これに基づき図面を自前のAutoCAD LT(2次元CAD)を駆使して12DOF(12自由度)のヒューマノイドの脚部を、CADと首っ引きで描き上げました。そして、足の駆動のアクチェータとして前述のモルフの真似をしてラジコン用のハイトルクのサーボモーターを20個ほど20万円強で購入し製作に取り組みました。私の設計では脚部本体をアルミ加工とその板金加工でつくり、サーボモーターや駆動部のベアリングを組み込み組み立てました。加工と言っても技能は無いわけですので工夫の連続で非常に苦労してつくりました。ハードウエアができたら次は制御系のハイスペックマイコンと歩行プログラムに取り組みました。制御系の文献を調べたり、この道の専門家に教えてもらったりしながらC言語で歩行プログラムを書こうとしました。しかし、C言語にはポインタという難解な概念の記述があり、ロボットのプログラムはこのポインタが頻出するので悩みに悩みました。悩み抜いた私は半ばやけくそで、事もあろうに専門誌に公開されていたプログラムをそのまんま流用してしまいました。私のような中途半端な性分ではこうなってしまうんですよね。新規性も独創性もあったもんではないです。ただのパクリです。それでも制御系の構成だけは立派で、PCから無線でマイコンを制御できました。そして、問題の歩行実験です。PCからコマンドを打ち、家族の前で緊張の瞬間を迎えました。そしたら驚いたことにパクリのプログラムにもかかわらず、きちんと一歩いっぽ歩きました。私の技術は赤ん坊のハイハイレベルですが、例のプログラムが優秀だったため、3メートル位歩行しパタンと倒れてしまいました。どなたか申しておりました。「人間というものは一生一つの分野で生きてゆくものだ」と。私は元々、機械屋なので電子工学には無理があったわけです。その時点では難易度の高い制御プログラムを書くなんて、できるわけがないです。この一件で、越えられない壁に直面すると逃げと言うかパクリをしてしまう情けない性分を嫌と言うほど思い知りました。総額100万円ほどの授業料でしたが、私にとっては己を知る良い経験になったと思います。

もやもやの特効薬
私は大学院時代、研究の実験や勉強の厳しさに負けることがしばしばでした。教科書の数式が解けずにイライラしてゼミ生たちを連れ立って居酒屋に飲みに行ったりもしましたが。どうにも解消できないでいました。そんな時、ふと街のスポーツ店で見かけたテニスラケットが気になり値段も安かったのも手伝い経験も無い硬式テニスのラケットとボールを衝動買いしました。その頃、テニスは大流行の兆しで私も聞きかじりで世界的なプレーヤーのジョン・マッケンロー氏の名前ぐらいは知っておりました。ある日、またもや勉強のもやもやが溜まり居たたまれなくなった私は、研究棟の片隅にコンクリートの壁があるのを思いつき、壁打ちをやってみました。心得もないので下手くそですが30分も汗をかくと何か気分がスッキリし嬉しくなりました。味をしめた私は友達と晴れた日曜の午後、近隣の小金井公園というところの空き地でテニスごっこを愉しむのが常になってゆきました。汗をかいて疲れた後には隣接するファミレスに入り、ささやかな昼食と贅沢にもビールを飲んで休日を余すとこなく満喫しておりました。会社員になってからも職場の皆さんと職場のお嬢達とともに、今度は専用のテニスコートで例のもやもや解消に励んで、何とかかんとか会社員生活を生き抜いておりました。プールやジョギングも良いですが、個人的には下手のテニスが性に合っており、還暦を越した私でもまた機会を見つけて再開したいと目論んでおります。

天体観測ワゴン
澄んだ冬の夜空は天体観測に適していると思います。現在は天体観測の機材も進化し、星を自動追尾し天体写真もロマンティックで美しいものが撮れるようになっています。これは更に進化した天体観測を可能にするモビリティの提案です。それはワゴン車に反射式赤道儀をビルトインし、ワゴン車の後部にこの望遠鏡を取り付けスイッチを入れると望遠鏡が上昇し、同時にルーフが開いて望遠鏡を夜空に向けセットできるようにします。車内にはPCが搭載されており天体を大画面のモニターで観測・撮影・計測できるものとします。この車両は街の照明による光害を避け、日本中の最適な観測ポイントに出向いてゆくことが出来ます。スイッチひとつで大切な望遠鏡を出し入れできるため、気象の影響に観測を左右されないというメリットがあります。子供たちを連れ立って何処へでも観測旅行に行けます。宇宙の営みを家族で研究するための夢のワゴン車でしょうか。


おもしろい趣味のリスト
趣味を持つことは人生に彩りを添えてくれるものです。日常の仕事の空き時間に趣味を楽しむことは、お酒も楽しいですが、酒びたりの余暇からあなたを豊かな人生へと昇華させることもあります。加えて素晴らしい思い出も得ることが出来る輝いた人生に欠かせないエクスペアリエンス提供してくれるでしょう。
・ロックギター:名曲をコピーすることで往年のロックの名曲を演奏する喜びを。
・ジャズギター:アドリブもいいけどスタンダートの名曲のコピーも楽しいものです。
・電子ピアノ:童謡やポピュラーを覚えて演奏することでノスタルジックな日本を再発見。
・DAW:曲をイメージできる方はその気になればオリジナルの作曲でYouTubeにも発表出来ます。
・リコーダー:覚えると手軽にあらゆるジャンルの楽曲のプレーヤーになれます。
・音のロケハン:デジタルレコーダーで自然界のあらゆる音を撮り自宅のPCにライブラリーを構築。
・ラジコンヘリコプター:組立から飛行まで楽しさ別次元。F3Cの練習が楽しいです。
・ラジコンカー:おもちゃとは言わせない。サーキットで腕を磨きたい。
・ロッククローリング:ラジコンのランクルなんかを駆使して岩場のセッションを制覇したい。
・フィールドワーク
・水中の微生物を採取しては顕微鏡とカメラで気分は生物学者。
・顕微鏡で様々な植物の細胞なんかを観察できます。
・昆虫を採取して分類学などの研究したいな。
・バードウオッチングで貴重な鳥の生態を研究できます。
・比較的飼育が楽なミジンコを観察・研究してみたい。
・アクアテラリウム
・60センチの水槽に地球環境を模して生物の生態系を構築できます。
・天体写真:反射式赤道儀を使い「ばら星雲」などの美しい天体写真のライブラリー作成。
・トレッキング:山野を踏破し自然に親しみたい。例えば尾瀬なんかはどうでしょう。
・モトクロス:これはまさにリアルスポーツ。やわな人には向きません。専用コースもあります。
・オーディオマニア:往年の高級アンプやスピーカーでコンポーネントを組むことはは無条件で楽しい。
・電子工作:まずは市販のキットから。自分で回路を設計できるようになりたい。
まだまだジャンルは無限大です。思いついたらワープロで計画書を書いてみれば自分の志向に合った独自の趣味も可能です。
僕の愛する自然
私は「陽光」「海」「風」が大好きです。まず「陽光」ですが、春や秋のやさしい陽光には少々の悩みなど吹き飛ばすような、 うきうきとした心の高揚感と温かみを与えてくれます。「海」には青系統のカラーパレットを開いたようなマリンブルーの青、紺碧の青をイメージします。そこには自然の神秘さや寛容性をも感じます。次に「風」ですが特に5月の雨上がりの風がとても爽やかです。また、この時期の海風も。今まで人間が何万年も生きてきた地球環境は太陽と水で創生(構成)されます。この人という生き物にとって重要な住処であり漁場である地球の恵みを高々200年程度の経済活動で失ってゆく。対策はしているものの、最重要とされる経済すらも危うくする私も含めた人間の鈍感さに改めて幻滅するところです。

改造人間
私は若き会社員時代、失敗の連続でした。技術系の仕事で昔で言う係長のポジションでした。機械や機械装置の設計をしていましたが、設計をすれば図面ミスによる「おしゃか」の連続で怒られるのが仕事のような毎日でした。また、仕事上の対人関係もうまくなく、トラブルばかりで、疲弊して夜は同僚と飲み歩きに余念がないと言ったところです。こんな風なので恋愛をしても上手くゆくわけがありません。案の定、振られて泣きを見る結果に。この失恋をきっかけに、自分に何か問題があるのではないかと考えるようになりました。自省の心にようやく気づいた訳です。そこで私は機械の開発を進める上で大切な、問題点の抽出の手法を自分自身に適用してみることにしました。具体的には、一枚の紙に、トラブルとなった問題の内容(インプット)と自分の言動の悪い所(アウトプット)をすべて思いつく限り書きまくりました。アウトプットが間違っていました。このままでは、一歩も先へ進めないのではないかという恐怖感からの行動です。これがこの後、30年続く自己の改良の長い道のりの第一歩となりました。他人を変えるなんて不可能であり傲慢でもあります。自分を作り変えるしかなかったわけです。日々、自己の向上を目指し問題点をつぶしてゆきました。これが元で仏教の哲学にも御縁が出来たわけですが、余り考え過ぎが講じて排他的になったり、社会と乖離しかけたりと色々ありましたが、今日に至っている訳です。ようやく年相応には成れたかなと言う感じです。私は感じます。日本には、至るところに仏教の精神が根付いていると。例えば音楽では、1980年代のJ-POPです。歌詞にそのテイストがちらほら見受けられます。このようなことはとても善いことのように私は思えます。何も、私のように苦しんでドタバタする必要はないです。日々の暮らしに空気のように仏教の知恵を置く生活。日本人として、とても素敵で幸福なことではないでしょうか。

老人の知恵に学べ
年功制が崩壊して久しいですが企業のような年功序列での長ではなく、年長者に人生の知恵を学びたいと私は30代の頃考えていました。極端には100歳の老人の知恵を盗み取りたいと思っていました。この頃の私はかなりアグレッシブで会社の同僚や先輩達に「負けてなるものか」と考えておりました。それで一世紀を生き抜いた実績のある老人に目を付けたわけです。精神年齢を格段に上げたかった訳です。実際にはそのような方にご縁もなく、漫然と生きていた記憶があります。また、私のようなものでも「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉だけは知っており、はばかりますが会社の敵を打ち負かそうとする不届きな事を漠然と考えておりました。そして「敵を知る」ことのみに頭をフル回転していました。何と言ってよいか、血気盛んな若気の至りそのものでした。それでその時の職務である切削工具の開発で皆に自分を認めさせる目的で「切削理論」という東京大学の教授の書いた専門書を読み漁ることにしました。この効果は絶大で数年で私の敵になる方達は居なくなり、馬鹿ですが調子に乗りまくっていました。この問題はご縁がなかった老人の知恵を得ていたなら逆の悪い方向に邁進していた私を諌める知恵のパワーを頂けたはずでしたが、叶わず今にして思えば破滅の道を選択してしまっていました。平たく言うと「相手を認めないひとは自分も認められない」というロジックを得ていればこのような愚かな間違いをせずに済んだはずです。これはある年長者の方から授かった言葉です。そして、一般的に己を知ることは最も難しい命題であると言えます。敵のことは大体、分かっても誰しも自分の本性を知ることがどれだけ難しいかこの30年で仏教の知恵から学んだ次第です。社会は戦いではなく、このような愚か者の私をも受け入れて頂くための生きる知恵が不可欠だった訳です。こんな私も長年、振り返って自分を見つめ直し、修正に修正を重ね年齢相応にはなれたかと一息付いたところです。人間関係は極論すれば「好きな人は好き、嫌いな人はやっぱり嫌い」となってしまいます。あの若き時代にこのような「他人を認めてあげる」知恵を授かっていれば会社員として全く次元の異なる善き人生になっていたはずだと後悔せずにいられません。愚かですが。更にはようやく前述のふたつの言葉の意味が分かるようになり社会を始めみなさまの温かいご指導に感謝せずには居られません。
テクニカルターム把握の重要性
仕事などで、全くの新規分野の学習の勉強の必要性が出てきた場合、誰でも手を焼き、頭が痛くなる思いをするものです。これには良い方法があります。スプレッドシートアプリを活用する方法です。これはとても合理的で役に立つのでご紹介致します。まず、スプレッドシートの列のセルに未だ意味のわからない専門用語(テクニカルターム)を順不同で片っ端から書き出し入力します。これができたら、次に広辞苑などや電子辞書の百科事典、ネットで検索した短く要約された用語の意味を片っ端から調べ、意味をスプレッドシートに入力・作成します。ただし、入力するのは文字データのみとして下さい。次に、このリストを見渡し、取つきやすいものから読み込んでゆきます。分からない専門用語の連続でちょっとばかり忍耐が必要ですが、我慢し読んでゆきます。そうすると、徐々にでは有りますが、何について書いてあるか、その全体の概念が少しずつ頭に浮かぶようになってきます。そうすると占めた物、次から次に芋ずる式に、自分で苦労して作成したリストの意味が不思議と分かるようになってきます。これが、初学の分野の全体像を把握するための手法となり、専門書の勉強を前へ進めるなりできる状態となり専門書の詳細を勉強できる前段が整います。いかにテクニカルタームの把握が必要不可欠か分かっていただけると思います。これに最新のAIを活用した高効率な勉強法まで加えれば、鬼に金棒です。

地球環境の番人
アマガエルを最近見かけなくなりました。河原の草むらなどに立ち入ると昔(30年前ほど)は大概、その愛くるしい姿を見かけたものでした。目玉をクリクリさせて。それにアマガエルは水質や環境にとても敏感な生物で、これが居なくなるとすると昔より相当に環境悪化が進んできていると言えそうです。アマガエルを環境の番人として利用するのも一理あると思います。更に、自論ですが動植物などの自然に生きる生物が奇異な行動を取る時、何かの自然環境の変化が疑われると思います。例えば、少し前では人里にニホンザルやイノシシ、最近ではクマが出没し、大問題になることがありますが、これも山野山岳の環境が大きく変化している証拠であろうと考えられなくないです。これら山の主たちが人里で餌を求める。これは、恐らく何かの警鐘でありこのままでは、不可逆的な環境変化の果、人間の生活環境にも何らかの影響があるのかも知れません。いずれにしても好ましからざる現象なのだと思います。そしてみなさまも恐 らく同じ様な危惧感を持たれているのではないかとご推察申し上げます。極論的には自然に生息する動植物は生きる環境センサーと言えるのではないでしょうか。

進化について
文明・文化は進化するのみだと言えると思います。ただし、過去の文化の真に優れたものは残す必要があると思います。これは、その時代において社会で揉まれ生き残った物事や考えで、これを生み出すために多大な人的資産や資本、資源が投入されていると言えるからです。人類の資産です。これは、適宜リメイクして現代へとフィードバックすればより良い文明となるはずです。これとは別に人類が文明を進化させる場合、必要になるロジックがロッククライミングで説明できると思います。ロッククライミングは難易度の高い垂直やオーバーハングした岩壁を基本は3点支持で登るそうです。3点支持が確保できたら1点登る。基本はこの繰り返しです。テクノロジーや文明もここまで厳しいルールで進化するわけではないですが、失敗は許されないと思います。前述したように多大な資産を 消費して成し得たものですから、仮に失敗したとしてもこれから得るものがなければならないと言えます。当たり前ですが地球上の資源・資産も無尽蔵の訳はなく有限です。人類永続性の追求のためにも慎重な次の一手が重要だと言えるでしょう。

厳格な教授に学んで
私の大学の学部時代は、機械工学の専門課程につまづき超低空飛行で何とかかんとか卒業できたような、出来損ないのタイプでした。一旦社会には出たものの、その厳しさや他人様の評価の低さに耐えかね、大学院で巻き返しを図ることにしました。何とか入門できた大学院では指導教官は私を見るなりその素養の低さを見抜いたご様子で、厳しい口調で私に研究課題をだして頂きました。加えて「君は社会でもまれ、酸いも甘いも噛み分けた人だから・・・」と付け加えました。その指導教官は東大博士で...。当初は、これを聞いて褒められたんだと思い込んでいましたが、しばらく後になって、その教授流の私への評価と揶揄を込めた言葉だと気付きました。要は、「自分に甘い親にも甘えた僕ちゃん」だということです。これをよくよく考え猛省した私は、よし、改善しようと思い立ち、手を返したように毎日、研究と勉強に12時間費やすように勤勉になりました。後に思うことですが、褒めて伸ばす教育もあろうかと思いますが、こうした揶揄でプレッシャーを与えて考えさせる高度な指導も効果があるなと思います。私の指導教官は終始厳格な方でしたが、そのご存在が示す研究姿勢や物事のお考えが、私にとってはとても魅力的に映るのでした。
中古のスポーツカー
若者が主張するものに、音楽やファッション、仕事や趣味とあろうかと思います。しかし、なぜ車はその範疇に入らないのでしょうか。ファッショナブルなスポーツカーは駄目なのでしょうか。何も新車でなくてもいいと思います。むしろ中古のほうが格好いい。中古のスポーツカーを購入し、エアロパーツとかホイール交換とかして、自分のポリシーに合う一台をレストアしてデザインして創れば、非常に楽しいことだと思います。車とファッションとを融合させ粋さを主張する。こんな素敵なことはそうそうありません。お洒落といえば、運転のマナーも入ると思います。スマートに安全運転することですかね。粋な運転技術というものもファッション性をアピールできると思います。スポーツカーは取り扱いに手間が幾分かかりますが、何か道具を使いこなしてる感が有りとても粋に映るものです。

低コストな製品開発について
大企業ならともかく製品開発は、コストが高く技術的にも難易度が高いと思われ、尻込みされる方も多いと思います。そこで、ここでは低コストで少人数でも比較的簡単に出来る製品開発法について述べてみたいと思います。まず第一に、アイデアを逃さないことです。仕事中でなくても、ふとした拍子にアイデアが頭に閃くことがあります。これを絶対逃さない。そしてまず絵にしてみます。4色ボールペン等で下手で良いので原形図をフリーハンドで作成します。この原形図に思いつく限りの箇条書きの説明を入れてみて、アイデアが成り立つものであるかどうか十分熟考し検討します。この作業が開発の8割程度を占める非常に重要な工程です。ここで大いに頭を使い、何回でも描き直しアイデアを練り込んでゆきましょう。また、この場合アイデアの理屈(ロジック)が理にかなって成立しているのであれば、製品化が出来る可能性がかなり高いです。しかもこれに新規性がある場合は、実用新案や特許に出来る可能性があります。そして次の作業は、もう少し製品に近い絵にしてみることです。大体の製品の形状・機能を通称ポンチ絵と呼ばれるフリーハンドの概念図にしてみることです。そしてこのポンチ絵の作成に成功したら。原形設計に取り掛かります。実際には安価である2次元CADを使い、ポンチ絵を製品に近い図面に仕上げることです。これには設計の経験がかなりいるので、設計経験者が行うのが良いでしょう。現在は3次元CADが主体ですが、CAEを行ったり3次元プリンターで原形試作品を作ったりすることはコストがかなり高くなり、それ相応に高度な装置でない場合はあまりお勧めできません。一般的には2次元CADでも十分です。ローコストな開発には2次元CADの方が負担が少なく向いていると思います。後は、図面一式(検討図、組立図、部品図など)を作成し、原形試作品をつくったら、「試験」-「評価検証」-「改良設計」のサイクルを回し製品として完成させると良いです。更に進んで。これに制御やAIなどが加わる場合には、この分野の専門知識を持ったエンジニアが必要になってきます。主に私の機械設計の経験を踏まえ述べさせて頂き、ケーズバイケースに対応した説明ではない点、恐縮ですが事業者のみなさまへ微力ながらご参考になれば幸いです。

アーカイブス

AIを組み込んだ会社組織における考察
日本において高度の少子高齢化は目前に迫っている。人口は数十年後には半減の6千万人ほどになるという試算もある。これに対処するには、外国人の起用、AIやロボットの活用しか手立てはないと思われる。ここでは、生成AIにより不足したマンパワーに代替可能な組織について考えてみたい。まず第一に、高効率なAI組織の開発のためには、人口減少に対処するため生成AIを構成員に加えた会社組織構築の実験的シミュレーションを実施することが必要と考えられる。そのためには、まず最初にこの会社を有機的組織として機能するよう定義する必要がある。定義とはAIにとっての仕事のやり方の学習で、大まかにはAI一台でその部門の人間の専門職一人と等価と考えて行う。例えば、この場合のコアとなるモデルは次のとおりである。専門職AI数台からなるチームをつくり、その長には職務のすべてに精通した人間がひとり専属で付き運営するモデルである。この人がこの職種を統括する。昔の表現ではこの人はAI職場の係長の様な仕事をする。この方式を全社に拡張し、多部門・各職種を適切に構成し会社組織を構築・定義する。上層部の経営者に於いては基本的にすべて人間が行うことになる。意外にも、経営者には繊細な感性が必要で、実行力、情報力、幅広い人脈など非常に高度で多様な能力を必要とされると思えるからである。本題から逸れるかも知れないが、人間がAIの配下になるのは、AIを非常に高級なツールと考えても、極めて本末転倒に思えるからである。何しろ罪深いのは人間の存在意義を否定するものになり得るからである。個人的意見では、企業のトップは愛情のある血の通った人間にと思います。また、このシミュレーションを実装するには、唯ひとつの職場をAIに置き換えてみる実験から徐々に導入するのが良いのではないかと思います。この考察は完成したものではないため、これを叩き台によりスマートな方法をご検討願えれば幸いに思います。
ひとを動かすとは
人を動かすとは、例えば会社などの組織において、部下を思い通りに使うのだと思われるかも知れませんが「ひとを道具のように使う」のでは誰もついてきません。どのような職場や組織においても次の三要素が不可欠だと思います。それは、「部下それぞれの気持ちを理解し指示を出す」こと。その「職場の職務内容に精通している」こと。それに「部下を納得させることのできるスピーチ力」が必要になると思います。しかもこれらの三要素を実行する上で、どこかに矛盾があると信頼が壊れてしまいます。部下も上司のことを非常によく見ており、人間性や人格までも見抜かれてしまいます。どこかに嘘があってもうまくゆきません。それも、その職につく上司も最初の3ヶ月程度が重要で、これくらいでその上司との信頼関係や部下との共感を築かないことには、部下は付いてきません。逆にこの3つの要素をうまくこなせるならば、難しいことやいわゆる管理テクニックなどを使わなくても自然と面白いように部下が自発的に上司の意に沿い動いてくれます。また、職場ルールでがんじがらめにする方法も無くはないんでしょうが、長い目で見て得策とは言えないでしょう。一言で言うと「トラスト」を築くことが人を動かす根本にあると言えるのでしょう。
エンジニアとは
エンジニアは不可能と思われる問題でも、その技術力と不断の努力とで工学問題を解決できる人のことを言うと思います。工学的問題はそこら中に転がっています。特に未解明の問題を多く持つ職場などはよく「宝の山」と比喩されるように、このエンジニアが見ればザクザク宝が埋まっているように思えるものです。通常の正攻法では歯が立たないような問題でも、知識と工夫で何とかするのがエンジニア。まさに生命の進化に酷似しているのではないでしょうか。また、映画の「アポロ13」で出てくるようにアポロ計画の時代のエンジニアは「大きなてこがあれば地球をも動かしてみせる」と豪語するように宇宙開発を通じて滋養された万能感と自信に満ちていたように思います。現在、AIを枢軸とした情報科学の分野がとても花盛りに見えます。工学には「機械工学」「電気電子工学」「建設工学」「土木工学」「航空宇宙工学」と基礎工学がありこれらや生物学などとの学際的な応用工学が多数存在しています。大きく言えばこれらの技術で世界が造られている訳です。科学者が原理を発見するとそれを基にエンジニアが奮闘して社会に実装できる有用なテクノロジーを開発する訳です。これから暫くAIの進化の時代が続くと考えられますが、一方でこうした基礎工学を修めたエンジニアも企業の発展・存続を担う役割を持ち、この分野を牽引するフロンティアとして不可欠だと思います。中・高校生諸氏に申し上げたい。宇宙を旅する宇宙船のように自分の「目的地を確かに見定めて」進路を決めてほしいと願う次第です。ロストしないように。
コンプレックスという文化
アメリカの映画で「摩天楼は薔薇色に」というマイケル・J・フォックス主演のサクセスストーリーを描いた映画があります。このシーンで私が気に入ったのは、母親に主人公が「彼女との大人のお付き合いがしたい」と真っ正直に打ち明ける場面があります。普通、独身の息子は母親に対して自分のナイトライフの様な話題は絶対しません。母親を一人の女性と捉えている息子の度量が痛く響き、自分にはこんな言動できないよとまず出てきます。いずれ息子も愛する伴侶を見つけて家を構えることになると思います。このような時には、例えば「妻を心から愛している」というような事を、母親の前ではまずもって言うことは不可能でしょう。この辺に米国と日本との文化の違いが出ているように思います。映画はドラマですから本当にこの様な違いが一般的な話かどうかは分かりません。でも、本当に息子に自律・自立心「自分の発言には責任をもって行動し、幾度か失敗してもこれを成し遂げるか結果の責任を取れる」という行動規範が出来ていたら、自信をもって母親に愛情のこもった発言が出来るように思えます。決してこれはマザーコンプレックスなどではないと思います。母親を一人の女性として見て、十分に母親にも愛情を注げる。いかがでしょう。これが真に大人であることを裏付ける言葉ではないかと私は思います。
スマートフォンによる災害対策システム
近年、異常気象により日本の至る所で、風水害や地震が発生しています。最近ではその殆どが大災害となっています。現状でも雨雲・降雨レーダーや雨量計、地震計など国の管理する防災システムがありますが、これを補完するか統合して、災害の多い日本の更なるきめの細かい人命救助・減災対策として利用できないか検討してみたものです。そのため、現在ではインフラ化しつつある一人一台のスマートフォンを利用するものでもあります。まず、日本全国の街路の指定ポイントに水位センサー、風速センサー、地震時火災用温度センサーなど必要なセンサーをひとまとめにした高級すぎないIoTによる対災害計測機器を設置します。これは自治体などにあるセントラルのコンピュータが利用し、加えて市民が持つスマホが、直接この機器の発信するデータを利用できます。このIoT計測機器の設置基準は、人口密度に応じて設置台数・場所を決めます。これら個別IoT計測機器からの情報を広域で自治体単位などのセントラルのコンピュータに収集し、解析し時々刻々と悪化する災害の危険をリアルタイムの各種災害解析画像をつくり監視・予測し職員に細かく精密に指示できます。一方、外出中の車や歩行者などの市民を守るため、このIoT計測機器を市民のスマホがダイレクトに利用できるようにします。スマホの取得する位置情報を利用し外出先で近接エリアにあるIoT計測機器を移動位置に応じ自動で特定し、観測したデーター(火災エリア、水位とその上昇速度、危険強風エリアなど)をスマホにインターネット経由で取り込み、専用のAIによる誘導アプリで解析計算した安全なエリアへ退避させることができます。加えて、歩数計センサーなどの情報をセントラルに送信させ、その解析から生存や否か危険な状態かをスマホアプリのAIが判断し、救助の指示の判断を出します。更に、傾斜地区などでは地すべりセンサーの情報もスマホで同様に利用できるようにするといいと思います。
ハードサイエンス
学術におけるハードサイエンスはアメリカから伝わってきた言葉です。ハードサイエンスとは数学、物理、化学というように科学において最も基本となるこれらの学問を指しますが、難易度においても最も高いものです。研究者の卵にはこれらのハードサイエンスの知見を求められますが、これがなかなか難しいものです。例えば実際の研究においても物理学の加速器を使う素粒子の研究などが現在なお最先端ですが、成果が出るまでには多大な労力や経費を要するもので、簡単にはゆかないのが実情かと思います。もし、この物理の分野で成果が出たならば階層式に工学にも多くの恩恵をもたらし、場合によっては時代を一歩進めるようなものになろうかと思います。数学や化学においても同様でしょう。その意味でこのハードサイエンスの分野は学術体系のトップにあると言えると思います。それだけでなく、企業などの研究者に於かれましてもこの分野は勉強を怠ってはならないものだと思います。いわゆる基礎の科学を使えるメリットとしては、研究論文においての解析や証明、更には実験においても適切な解を得るための大切な学問です。そこで、大学の理系に進学するにあたってはこの分野を十分に基礎がためする必要性があることを覚悟しなければ、研究開発の分野では問題になろうかと思います。アメリカの名門大学では恐らく、ハードサイエンスの習得に多くの時間を割いていることと推測され、そのために成果が次々ものになってゆくのだと思います。最近の例では、少し前のMRI、量子コンピュータなど非常に高度な技術を持っていないと創れない製品が開発されているのは言うまでもないことです。今後においても極限までの高度なAI、人工脳、人工生物などの情報科学の分野を牽引するのは恐らくハードサイエンスだと考えられます。研究課題が年々高度になりつつある現代、これを知らずして何をかならんやと言ったところでしょう。私のような浅学の者が語るには大変恐縮ですが、ハードサイエンスを知っておいて損はないものと思います。
マイクロ・オーディオ2
前作のマイクロ・オーディオをリメイク致しました。前作は、写真・機材があまりにプアだったため、これではご提案するにも失礼すぎると考え直し、今回再度、ご報告申し上げます。まず、オーディオの骨子となるアンプとスピーカーを取り替えアセンブリし直しました。スピーカーは8センチのバスレフ式で強力なホーン型のスーパーツイーターとの2Way構成としました。音の特徴はスーパーツイーターを加えたためにカチッと引き締まり音の輪郭がはっきりとし、かなり繊細な表現のできるスピーカーに仕上がっています。個々の楽器の音像や響きが大切とされるフュージョンやジャズなどインストルメンタルの分野の音楽が最も適しているように思います。同じ音源を聴いても、今まで聞こえなかった音が幾つも確かに音を刻んでいるのが私にも分かりした。前作とは全くの別次元の音に仕上がっています。作る過程でフルレンジを20センチにしようかどうか迷いました。しかし、これはやはり当初のコンセプトであるマイクロにこだわろうと8センチにしたため見掛けの面でスーパーツイーターの方が迫力があり、もしかしたら高域偏重のアンバランスではないかと思われるかも知れませんが、節度を保ち高域の不足しがちなフルレンジをしっかりと支え調和していると思います。本来なら総合評価としてRAW(AIによるご紹介)と呼ばれるスペクトル・アナライザーのフリーウエアソフトで周波数特性を見て頂いたら良かったのですが、手元に計測用の良いコンデンサマイクが無かったため申し訳ありません、割愛させていただきました。そして、プリメインアンプは5千円中盤、スピーカのワンペアの価格は2万円強と言ったところで価格的にも何とかマイクロ・オーディオとして納得できる範囲に収まっているのではないでしょうか。少々、手前味噌でオーディオ学に浅い私のレポートですが、どうかご容赦下さい。
華やかに酔う
日頃、真面目な人が飲み会で陽気に楽しげに酔うのを見ると周囲の人々も楽しい気分になる。人はなぜ酒を飲むのだろう。食事のアピタイザーとして飲むのが最もスマートだろう。ささやかな食事でも食前酒があれば食卓は華やかで彩り豊かなものになる。対して、ある人の言葉であるが、「自分に負けているときは酒はやらない」というのがある。苦難に押しつぶされて、自分だけではどうにもならないほど心が弱っていたら酒も旨くはないし、飲み過ぎれば愚痴も出てくる。翌日には二日酔いと昨晩の自分の言動に対する後悔の念が加わり最悪の心持ちになってしまいかねない。また、別の人の意見であるが、自分の幼い娘をひざにだっこして一杯やる瞬間が人生の中で魂が最も喜ぶときであると言う。更に「勝利の美酒」という言葉もある。いずれにしても、大きな悩みや苦難にある時には酒ではなく、自分自身と向き合うことである。これを酒に逃げるから失態もさらすし、悩みも解決しないのであろう。華やかな酒とは、喜びの酒かも知れないと思えてくる。同じ飲むなら華やいで宴を思いっきり嗜みたいものである。
改革とは最高に難しい
会社員も経営者も政治家もいつかは世代交代する時が来ます。この時、非常に重要な選択が伴います。保守か改革かです。例えば、改革派の人は前任者の行ってきた仕事をことごとく否定する立場に立つと思います。今現在が良くないのは、前任者の方針が間違っていたと言わんばかりに改革案で塗りつぶします。一方、前任者や組織全体にリスペクトするタイプである保守派の人は、前任者の方針の全部か一部を継承という形で推進してゆくことをします。どうでしょう。改革派は刷新感が強く、なにか期待めいたものが伴いますが、ともすれば善き伝統までをも破壊しかねないです。強硬な場合には改革という名のもとであらゆる伝統を切り捨てることも有ります。保守派の人は、善き伝統や志を引き継ぎ、伸ばして開花させようとする意図を持っていると考えられます。明らかに前任者に問題があった場合を除き、全項改革は損失も大きいと思います。少なくとも善き伝統は継承すべきではないでしょうか。例えば、会社の中でもいきなり就任直後からすべてを変えてしまわれては、周囲の部署に於いても困るケースが多いのではないかと思われます。それに、今までの成果や蓄積は何だったのかと、とても疑問に思えます。改革を必要な場合は、組織に大きく変革や刷新を外部から求められる場合にのみに限ったほうが良いのではないかと思えます。もちろん小さな改善などは必要不可欠ですが、改革の名のもとにスクラップ&ビルドでは、伝統も人も傷ついてゆくのではないでしょうか。少なくとも前任者は完全否定されてしまいます。こう考えると、改革は細心の注意を要するもので、感情や勢いだけでなく正しいロジックに基づいて行われるべきだと思う次第です。DXあるいはAI時代到来の潮目にある現在、大幅な改革が求められています。この中でどう最良の決断を下すか。日本のトップの動向に注目したいです。
学問のコロセウム
私は60年ほど前の子供の頃、テレビで観た古い映画で脳裏に強烈に印象が残っているものがあります。それは「学問の決闘」の場面です。ローマのコロセウムを切り取ったような円形の討議場でのシーンです。このモデルとなっていたのは恐らくアメリカの一流大学だと思います。学生たちは学生寮で教授から出されたテーマについて必死に猛勉強しこの闘技場で一人ずつそのテーマについての理論を展開し発表します。いわゆるディベートとは趣を異にするものです。自分の考える理論を雄弁に語るのです。そして教授が順位を決定するのです。最初は学生全員が発表し、徐々に絞り込まれて行き最終的には一対一の勝負になります。血の滲むような勉強をして壇上に登る。そしてまた熾烈な勉強と、子供ながらにこの映画を観て血が騒ぐと言うか心が燃えてきたのを覚えています。今にして思えばこのような極めて厳しい教育に揉まれ世界でトップクラスの人材が輩出されるのだと思います。また、現代ではこのような特殊なことは出来ませんが、似たような手法にディスカッションがあると思います。私も院生時代、勉強で仕入れた知識をもとに助手の先生に相手をしてもらいディスカッションで専門知識をより良く深く正しく理解させてもらった経験があります。これにより修士の素養を形成して頂いた思いです。グループ・ディスカッションでは数人でやるので論点が拡散してしまう事もあります。やはり、学問では理想は一対一が良いと私は思います。企業における開発や研究に於いては、理論の整理と方針決定の際にディスカッションで徹底的に煮詰めることが成功につながるのだと信じてやまないです。浅学の私の意見で恐縮いたします。
気遣いの重要性
企業などの何らかの組織や任意のグループに属する場合、人間関係を円滑に保つために気遣いが不可欠となります。誰でも自由にのびのびと自分の子供の頃にやってきた様に振る舞いたいという願望のようなものが深層心理にあると思います。しかし、幼少の頃でも各家庭において「しつけ」があったように度が外れた自由気ままは許されないと思います。社会に出て企業に就職した場合ではもっと厳しく心の赴くままに自由に振る舞うことは出来ないのが現実です。分かりやすいように、例えば上司から指示された設計を図面に仕上げ、製品試作の部門の担当者にいつものように図面を渡し命じたとします。いざ工作機械で製作を始めてみると図面に不備があり、いわゆる「おしゃか」になってしまいました。このような時、「ひとこと謝れば済むじゃない」と思われるかも知れませんが、あなたの図面に従って段取りから工作機械へのプログラミングなどの実作業を一生懸命に遂行した作業者達にとっては、言うに言われぬ腹立たしい気分になってしまいます。無駄な仕事をやらされたと。これが発端で、作業者達の間で自分にとって良くない噂が広まり、まずもって職場の雰囲気が悪くなるでしょう。このような場合、放置しておくとあなたの評価はガタ落ちで、いづれは自分の上司にも伝わってしまいます。製造現場の職長さんへの謝罪から始まり担当した作業者の方への謝罪や気遣いが不可欠となると思います。この気遣いにより今回はなんとかなると思います。この様に職場においても自分が発端でよい雰囲気を壊した場合には、気遣いすることが肝要です。一事が万事で気遣いは重要になってきます。仕事でミスが皆無と言うひとはまずいないですから。ご多分にもれず私も新入社員の頃には気遣いというものを知らず、現場から敵視さえされたほどです。スマートで円滑な仕事っぷりとは「気遣い」に掛かっていると言っても過言ではないでしょう。これを実践するなら、職場の皆さんもあなたを善き仲間(いっぱしの社会人)と見てくれるのは間違いないと思います。拙文で恐縮です。
嫌いな仕事でキャリアを伸ばせ
企業に就職すると、配属でありますが好きではない業務が命ぜられる場合もあります。こんな場合こそ自分を伸ばすチャンスです。大学で学んだ分野をやりたいのが心情だと思いますが、大企業などの場合そうではない自分にとって未知の分野に配属される場合もあります。昔から言われているように「3日、3ヶ月、3年」が辞めたくなるタイミングとして言われておりました。大企業に就職したとして例えば3ヶ月で辞めてしまうと、好きな仕事は手に入るけれど次の会社への転職は普通はランクが落ちてしまいます。従って、生涯賃金も結局は低くなるしリスキーです。全く合わないのなら別として、最低でも3年は我慢したほうが得策かも知れません。3年もすればその会社の社風も俯瞰的に見れるようになり、何しろ最初は気に入ってその会社を選んだわけですから。最初に戻って好きではない職務というのは大抵の場合自分の専門外の仕事でしょうから、むしろその分野をキャリアパスに加えるチャンスだと言えなくないです。具体例では自分は研究開発がやりたかったのに、製造現場の生産技術に配属されたような時です。これはよく考えるとその会社の製品知識と技術改善を学ぶチャンスでしょう。自社の製品に精通したキャリアが身につくでしょう。こんな状況でも努力し忍耐強くここでの職務を覚え成果を出せるようになれば、自分の専門ではない生産技術という重要なキャリアが経歴に加わります。上司のまたその上席の上司もとても良くあなたのことを観察・分析しており、このような専門外でも努力できるような人物ではとても印象良くいわゆる「使える人物」として見てくれると思います。次もまた新たな職務となり、これすら成果を出せるならば、もう間違いなく将来の有望株としてあなたを評価してくれるでしょう。昨今、新入社員が一流会社をすぐに辞めるケースが報道されていますが、1年程度の短期間では仕事の流れを把握するだけでその後の成果を出すまでには至らない全くもったいない話だと思います。かつての終身雇用は崩壊して久しいですが、会社や社会に貢献する強い意思があるなら、ひとまず3年は我慢してみることです。自分のことが自分自身には理解できないのが普通です。幸運にも優良大企業に入れたなら、語弊があるかも知れませんが人事権のある上司の上司にキャリアパスを描いてもらうのも会社員として成功する秘訣のように私は思います。
現代のエリートとは
平成までの技術系エリート像は次のようなものでした。まず、組織力を持ち自然自然に組織のリーダーに治まり協調性も調整力もある人であること。更に、専門知識を駆使し新たな技術の種を創出できる人であること。この様な人材には企業も投資・育成をし、投資をしただけ伸びる人物であること。当時は一説によると技術系で一人前になるのに1億円ほどの額が必要と考えられていました。これに対して令和では人的流動性が格段に高まってきたため、求められる人物像も変革してきていると思います。現代のエリート像とは端的に表現すると、高度なスキルや専門知識を擁しキャリアパスを自分で描ける人であり、技術革新や発明などスタートアップの創出やイノベーションを起こせる人ではないでしょうか。この様な変遷により、リーダー達の人格や振る舞い、サイエンティストやエンジニアとしての処世術も平成と比べ格段に難易度が高まっていると思われます。昔に比べ高度化が格段に進んでいるわけです。AIなどの登場により平成と比べ令和では時代が一歩進んで、これが令和のエリートのプロトタイプだと断言できるようなことは未だ出来ておらず、これからの若い人たちの模索・開拓さらには夢の実現に掛かっていると言えるのではないでしょうか。未来を創造する若者に向け、私達、老兵も喜んで時代をバトンタッチしたいものです。
最近の科学技術の進歩に対する懸念
現在、日本においても科学やテクノロジーの研究が花盛りで、人工知能やロボット、空飛ぶ車などを始めとし各種産業のシーズとしてこれらの関連の研究が猛烈な勢いで行われています。米国の科学者によると情報科学やデータサイエンスの分野において進化の速度が指数関数的な伸びを見せることが予測され報じられてからかなり久しいです。しかし、これには人類の文明の燃焼の速度が速すぎて「未来に文明の枯渇の時代をもたらす」という大きな懸念を与える可能性があると考えられなくないです。私には科学やテクノロジーのテーマ早食い競争に陥り、研究テーマを食い尽くしてしまう勢いに思えて仕方ないです。このようにして、ひとたびテーマに枯渇を生じると一般市民の心にも虚無感・無力感を与え、言いようのない不安に襲われることになりかねないと思えます。併せて経済も低迷する懸念もあります。これらは世界の潮流であることから、人類全体が「生き急いでる」と言えなくないでしょう。日本においても「失われた30年」の再来はもう御免こうむりたいです。この時も、開発テーマが枯渇しておりました。これを回避するためには、文明の燃焼速度をコントロールする機能を組み込む必要があると考えられます。こうした巨大システムで速度の調節がうまく行っているプロセスの例としては原子力発電があると言えます。炉の内部の制御棒により原発の燃焼速度を安全にコントロールできます。例えばではありますが、この様な概念の仕組みを文明の進歩にも取り入れることは出来ないでしょうか。必要なものは必要なもの、後でも良いものは後で小出しにするプライオリティの知恵のようなことが出来ないものでしょうか。
疾風となれる瞬間を捉えよ
駿一の生き甲斐は大型バイクを駆って峠道を走ることである。週末はいつも奥多摩に走りにゆく。自宅のガレージから重い車体の隼を押して朝風の吹く外の世界へとバイクを出してやる。バイク乗りの正装であるクシタニの革ツナギを着込んだ駿一は、いつもより多分に緊張していた。それは、マイクロコンピュータの組込み技術で設計から開発までしたジャイロセンサーの効果をテストする日であるからだ。このジャイロセンサーは駿一が事前に自分で頭部と頚椎、腰に各々ひとつずつデバイスジャイロを取り付けてある。これは峠道のスポーツ走行で真価を発揮するのだ。一般道を優雅に駆け抜け、ようやく奥多摩に着いた駿一。高速コーナーの連続で構成される奥多摩のワインディング。この道は駿一の野生の感覚を鮮明に呼び覚ました。胸に確かな熱いビートを感じる。重い車体であるはずの隼も走り出すと軽快そのもので、直線でのフル加速。そしてブレーキングとコーナーリングに差し掛かる。駿一はライディングフォームをハングオンに切り替えつづら折りのコーナーを攻めてみた。案の定、ジャイロセンサーの発信する正確無比な信号が、Bluetoothを介してタコメーターの上に取り付けられている液晶モニターに体幹の傾く角度を精密かつリアルタイムに返してくる。これは安全だ。自分のハングオンのフォームがモニターに表示され、直感的に適切なライディングポジションとバンク角を切り替える様子が分かり、まるでマシンと自分の体が融合したかのようだ。これで高速に安全に連続コーナーをひとつずつクリアして行ける。駿一はこのシステムの有効性と効果に満足しつつ、あたかも風の分身のように爽やかに峠を駆け抜けていくのであった。
車を所有する喜びとは
現在車は自動運転やEVカー、水素エンジン、燃料電池車などが注目を集めています。私は若い頃、バイクでロングツーリングや峠道のスポーツ走行、モトクロスバイクによる林道ツーリング、車ではツインカムエンジンの国産スポーツカーで箱根ターンパイクなどを走ってフィーリングを味わい悦に入っておりました。エネルギー環境問題などから前者のEV車などが主流になりつつある昨今、例えば高級スポーツカーのV12気筒エンジンのビート感や走行フィーリングがたまらなくいいと申しても、時代錯誤の虚しい空論に終わってしまいます。確かに、モーターは静音でスムーズでトルクフルな加速を得られスマートという語感が好まれる時代にマッチしていると思います。ただ、自分で愛車を気に入り所有する喜びを感じる、プレミアム感に乏しいと感じるのは私だけでしょうか。昔の車のメカは、エンジンは4バルブDOHC、Twinターボと言ったとても魅力のあるマシンが搭載されて、車好きの自慢話が尽きることがありませんでした。そこで、私が個人的に思うのは、往年のスポーツカーの名車のエンジン特性をデジタルサンプリングしてプログラムとしてEV車などに搭載できないかと思わなくはないです。更に考えれば一般車には無理でもプレミアムなスポーツカーに独自に専用にプログラミングした動特性をあたえてシャーシとのバランスも考慮してチューニングする。このような車があってもいいなとひとり空想を膨らます次第です。
出る杭というけれど
会社などの組織の中で一歩抜きん出た事をしてみたいと考える方は比較的多いのではないかと思います。シミュレーションしてみましょう。例えば、理系のあなたが「独自」のテーマで画期的な発明を会社でしたとします。得意になり上司に報告したら、たちどころに社内に噂めいたものが広がってしまいました。あなたは有頂天になりました。しかし…。これにより自分の職場の雰囲気も変化し、みなさんそっけない感じです。声掛けなど気遣いしても駄目なようです。喜んでくれると思っていた上司もどことなく冷たいような態度です。はっきり言って浮いている感じです。これがいわゆる「出る杭」でしょう。日に日にこの状態はひどくなり、最終的には職場に居づらい状態にまで行くでしょう。ここで会社という組織の構造面からの分析をしてみましょう。会社組織は時代じだいで多少の変化はありますが、基本的にはトップダウンです。あくまで舵を取るのは経営者です。トップに位置する経営者の意向で研究・開発・製造の方向性が決まり、これが担当者まで降りてくるわけです。さきの例のように、会社の意向と異なる発明をして、ボトムアップしても普通、上層部は困惑する限りです。上から見ると何か自前の事業でも始めたのではないかと思えるくらいです。例えるなら、上層部の経営者の舵の効かない組織はアンコントローラブルな船のようです。このシミュレーションの問題点は、上司、経営者の意向に沿わないものであったと言えるでしょう。その会社に誇りと敬意を持つならば、能力を存分に発揮した上で意向に沿う仕事を、と思います。
上司の愛情
獅子は見込みのある子を千尋の谷へ突き落とすと言います。こんな厳しいこ とは現代ではなかなかできないことと思います。しかし、真のエリートの育成に於いては千尋の谷とまでは行かないまでも試練が必要となります。上司が訓練を課しそれを何とかして自分の力で乗り越える。それが出来ると自分の世界観が一段広がると思います。見えるものが違ってくる。これを繰り返してゆくと真のエリートが育つと思います。しかし、その過程には上司の血のにじむような苦悩があると思います。手を貸さずにどうやって自力で障壁を乗り越えさせようか。できることならいっそ手取り足取り教えたほうがよっぽど楽だと思います。要は自分で正しく考える力・知恵を付けることだと思います。あえてそれを許さず自力でやらせる。とても愛情のいる仕事だと思いませんか。
上品な日本人
自説だが、日本においては知らず知らずにあらゆるところに仏教文化の片鱗をしばしば見ることができる。基本的には今も道徳や倫理観にも仏教文化が根ざしていて、優しく温厚な国であると言える。例えばインバウンドの外国人が、何の気兼ねなしに日本へ旅行に来れるし、また来日者数も伸びてきている。どうだろう。日本が世知辛い国だとしたら、このようなことは起こり得ないのではないだろうか。これが当初の「おもてなし」や、外国人が困っていたら手助けしてあげられる日本人の優しさを外国人は観ているのだろう。また、日本食や日本の伝統工芸などが世界中で流行っている。これが嫌な国であれば間違いなくこんな現象は起きないであろう。日本に来る外国人から日本人を見る目は客観性があり正しい評価ができると思う。更に、外国人は日本の善いところをよく知ってて、これを自国に持ち帰ろうとしているように思える。日本人である、あなたの知らないところで仏教 に熏習されこれが大いに気に入られていると。インバウンドの来日客はその証拠と考えて良いのではないか。
テレビ革命
デジタル情報メディアには大別しテレビと対極にはネット動画が有ります。現代は自分に合った仕様での情報取得をその情報速度や分野などを基準に自由に組み立て選択できます。情報取得の自由度の大幅な向上にはスマートフォンの登場が大きく寄与してきたと考えられます。そのような背景を踏まえ、テレビに欲しい最大かつ唯一の要点とは、次のことではないかと思われます。それは、現在テレビの番組はその番組を構成するある程度詳しいコンテンツ名と番組PR動画を事前またはリアルタイムに知ることが出来るようになることだと言えなくないです。具体的には、ネットに「リアルタイムに更新可能な番組表」を掲載し、これを「スマートフォンで観て番組予約」できるようにすることです。リアルタイムに対応するにはAIによる番組PR動画を即座に生成させる必要があると思います。視聴率にも影響するかも知れませんが、何とか出来ないでしょうか。私はテレビもネット動画のファンでもあり、現状より更に利便性・信頼性の高いデジタルメディアが未来にテレビとネット動画の相互作用で醸成されればと思います。恐縮極まりない心境ですが、意見具申、申し上げる次第で御座います。
人と甘え
大人においても「甘え」は大切です。人類に甘えがなければ寄り添って暮らしたりしないでしょう。それこそ国家も出来なかったでしょう。甘えは人と人とをつなぎ留める接着剤のような役目をします。その仕組みを分析してみましょう。任意に二人の人が居てこの関係が仲良しだとします。その片方が他方の一人にいつものように甘えた事を要求したとします。これに対して、他方の人がこの甘えを拒絶し許さなければ、この二人の関係は険悪になり壊れてしまうでしょう。また、人が出会った当初にはどんな人でも最初は警戒し距離をおいて接しますが、仲が良くなるに従ってこの距離も小さくなりお互いの間に甘えが許容されるように成ってゆきます。距離感が薄れお互いに言いたいことが言えるようになります。これが甘えが成立した関係と言えるでしょう。このようなことは通常、無意識に脳裏で考え判断して調整していることですが、甘えはこの様な特徴を持っていると言えます。この分析は自論かもしれないですが人間関係を維持するためには常識的な程度の甘えが不可欠だと、これは言えると思います。従って、人間関係を良好に保つためには頭の片隅に置いておいた方が良いかと思います。過度な甘えは問題ですが小さな甘えは許容してあげる。これが重要なのだと思います。
力点を知る
みなさま「テコの原理」はご存知だと思います。テコには支点・力点・作用点があります。このテコの一端の作用点に重りを載せ、 支点を支えに力点に力を加え重りを軽々持ち上げることができるのがテコです。例えば、この系で力点を支点のすぐ近くに持ってくると非常に大きな力を加えないと作用点にある重りは持ち上げられません。逆に力点を支点から遠くのポイントに持ってくると重りは軽々、持ち上げることが出来ます。これは力学的にはモーメントという計算をすれば証明できます。ところで、日常の仕事の中でですがこのテコの原理を導入すると最小限の労力で適切に仕事ができるのです。自分の今抱えている仕事の力点は何処が最適なのかを常に考えると良いことになります。この力点を間違ったところに設定するととんでもなく無駄な労力を必要とします。また、力点を間違った所にするとその仕事も不可能な出来ないものになるケースもあるでしょう。「楽々に仕事を片付けたい」と思うのが人情で、そのためにはテコの力点の考えは不可欠です。仕事に無駄と出来ないは禁物です。このテコの力学を応用すればこれらが排除できスマートな仕事っぷりを発揮できると言えるでしょう。
人間を超越する意味
現在、世界はAIにより人類の知能を超越しようとする方向に進んでいる。ここで疑問になるのは人工知能と人間とは何が異なるのかという点である。人間には心があり脳の様々な思考や感情や意志や感性などを持っている。現段階ではこの様な心というものを人工知能は今のところ持ち合わせてはいない。人工知能はニューラルネットの構造を持つがこれはプログラムで記述されたもので人間の脳神経細胞からなるニューラルネットとは異なる働きをするものと考えられる。そして、この人の脳と人工知能の働きの厳密な相違点はまだ未解明であるが、この相違点こそ人間の人間たる証のようなものであろう。未来にこの様な相違点までモデル化し人間の脳と同じ働きを持つものを開発するとすることは果たして必要かどうか。単純に人間はコンプレックスを抱く生き物でもある。それを知能と心まで人間を超越した機械を創ることはこのコンプレックスによる引け目を招き、活き活きとした人間の創造活動を阻害するものではないかと懸念される。しかも人間の脳と同じアプローチで考え、はじき出す答えも同等か超越したものは本当に必要なのかどうかである。この点、少なくとも人間の脳のコピーは不要であると言えそうである。なぜなら相違点があればこそ、人間と人工知能の明確な役割分担が出来、大いに成果を出せるものではないかと考えられるからである。同じものなら人間だけのほうが良いことに成りかねない。むしろ意図的に異なる働きを持ち、人間と人工知能の一対で最高・最適ななソリューションを得られることが共存のために望ましいのではないだろうか。
人間関係に困る
人間関係は至って難しいものです。つい最近まで悩んでいた対人関係に ついて効果がある対処をお伝え申し上げます。まず、第一に「相手の立場や考えや存在を認めること」です。自分のことを認めない人に対して、頭にくるのが人間です。相手の気持ちを察して、自分の正直な気持ちでもって相手の立場や存在、相手の主張するところを認めてあげることでしょう。そしてこの状態をしばらく継続してみることです。自分のことを認めてくれる人を敵視するような人は、まずいないと思いますよ。また、おおらかな気持ちに成れた時、相手の主張に対して自分が折れてあげる寛容性も必要になります。更に「郷にいれば郷に従え」という言葉もあるように、集団に受け入れてもらうためには、その人たちに合わせることが不可欠だと思います。そしてこの様なことが出来ないとか、やるだけやっても、改善しないならばその人や人達とは親しい関係は無理なのかも知れません。相手を認めることから共感も生まれ始め気持ちが通い合ってくるのだと思います。拙い経験で恐縮ですがご参考になれば幸いです
粋がりのすすめ
人間歳と共に枯れてくるものである。枯れるとは木々が紅葉のあと葉が散ってしまい、枯れてもの悲しげになってしまうのと同じである。「大人に成る」と言う言葉があるがこの枯れて欲のない状態を、上品に表現した言葉のように思える。人間誰しも歳をある程度重ねると老いも有り、悟りも有り大人に自然となってゆくものである。若い方に申し上げたい。人生出来る限り粋がったほうが断然楽しい。小じんまりと大人に成るより、社会で粋がって粋がって輝いたほうが得である。生き方にしてもファッション、考え方、趣味に及ぶまで格好つけないと、面白くないしさまにもならない。変に大人びるより、そっちのほうが断然、人生を真剣に生 きていると思える。
生物の進化に学べ
日本からは優秀なサイエンティストや剛腕の経営者が出ないという問題があります。日本は米国の提案した新規性の高いコンセプトや発明品を買わされる役回りです。そして、改良品をつくってその気になっている。昔読んだ本に「賃加工国日本」という皮肉に満ちたタイトルの本がありますが、今だに脱却できておりません。では、その理由は何という事になりますが、日本の企業社会の体質が古すぎるのではないかと私は思います。その最たる言葉が「出る杭は打たれる」です。何も、アメリカ人より頭脳が劣っているわけでは無いのに、この強烈な日本社会のポリシーが、抜きん出た素養を持つ若者を許しません。今だに。私も研究開発を自前のテーマで創出し実践していましたが、そのために排除されたと言ったところが日本社会の暗渠の一面であることに昔も今も変わりません。思いますが、新規性の極めて高いものはユニークさからしか生まれてきません。これは事実です。ユニークだと社会に打たれる。これがいまだにまかり通っているのです。AIによる先進の未来が現実化している昨今、この特異な発想をする若者にチャンスを与えないならば、日本の体質の進化は実現しないでしょう。これは日本がこの先、遺伝子を次世代に繋ぎ、環境順応し激動する世界の変革に子孫を反映させるためには不可欠と言っても良いことだと私は切に思います。そして、教育、社会体質、太古からの慣習に安穏としているときではないと思います。DNAの良い意味の突然変異を。そうでなければ、日本の未来に進化・繁栄など無いと私はつくづく感じる次第です。
則天去私
「則天去私」とは夏目漱石の晩年の言葉で、「小さな私を去って自然に委ねて 生きること」と辞書にはあります。人生100年時代と言われ出して久しいですが、これは未来に向け医療や科学の進歩で実現されるのではないかと思います。これに際し私もこのような老人になった時の心の持ち方も夏目漱石先生にあやかり、則天去私の考えで臨みたいと漠然と思っております。それに、このような高齢になると人間の永遠の課題である「死への恐れ」が出てくるのではないかと考えます。「あと何年生きられるのだろう」などとカウントダウンで考えるととても苦しくなる思いです。しかし、これについては最近になって思いついた解釈があります。それは、「その日が来る前日まで己の人生を活かし生きることのみ考え、いよいよその当日が来たらついに観念しよう」とする死生観です。人間、暗がりばかりを観ていたら辛くもなります。ひまわりさんの様に明るい光のある方向を目指し、生きてゆきたいと思います。みなさまのご参考にでもなれば幸いです。
大学の意義とは
現代は大学進学を学力・知力のフィルターとして捉えているところが大きいです。この指標となるのが偏差値ですね。現在これが独り歩きしています。しかし、これではまずいと思います。ならば、大学の本来の目的とは何でしょう。結論から言うと、大学へ行くのは、ひとつは幼い頃から夢み憧れた高度な職業に就くためでしょう。もう一つは最重要ですが、論文であると言えるでしょう。これを説明するために、大学の専門課程を順を追って説明します。まず、学部ですが、学部の4年間でも最終目標として設定されているのは卒論という論文を書くことです。4年間学んだ専門知識を総動員して、時には教授に指導を受けながら卒論をまとめ上げることになっています。更に進んで、大学院ではより高度な専門性の高い学問領域に踏み込み、修士論文を書くことが課せられております。その先は、博士後期課程になりますが、これは研究者となるための極めて専門性の高い課程で、自分で研究の立案・推進・分析・解析ができ、大学の最終目的である論文を自力で書ける力が得られる過程です。このように博士の仕事というのは様々あろうかと思いますが、論文なのです。この論文も評価を受けることがあり、研究者の論文は一般には何回他者の論文に引用されたかという引用数で評価されます。厳しい世界なのは他と同様です。そして、再三ですが大学や大学院にゆく意義はこのような高度な就職や論文のためにあるのです。最後に私は修士で博士後期課程は出ておりませんが、あえて大学の大まかな全体像を書かせて頂きました。みなさまの進学のための大学や大学院選び、あるいは周辺知識として極めて微力ながらご参考になればとの思いで書かせて頂きました。
当たり前で最重要な言葉
日本語にはとても便利で人に優しい言葉があります。それは「すみません」「ありがとう」という言葉です。まず、「すみません」は現代社会を生きる上で必要、欠くべからずな処世術のひとつです。平たくは、例えば人に失礼な礼節を欠く言動をしてしまった時、「すみません」が大いに役立ちます。もっと言うと、人の目の前を不用意に横切ったり、自分の行動が相手にとって図らずも迷惑な事になってしまった時、「すみません」は効果を発揮します。相手がこの事でカチンと来た場合にもこの相手を気遣う一言でカチンが消失し和を保てるからです。この言葉は現代人においては割に使いづらいのか街なかを見渡しても使える方が少ないように感じます。これは、その場面のその瞬間に禍根を残さないための重要な言葉だと言えると思います。次に、「ありがとう」ですが、これも余り適切に使われなくなったように感じる言葉です。誰かに気遣いをしてもらったり、何か便宜を払ってもらった時には不可欠な言葉と言えます。当たり前のような事ですが、これがあまり出来ていないです。これはそもそも挨拶語で他に対する感謝の気持ちを伝える唯一の言葉ですが、現代人にはこのあらゆるものに対する感謝の気持が薄いように感じます。仮に、何かにお世話になっても至極当然とでも言わんばかりにこの「ありがとう」が出て来ません。これは、その他者に対する甘えに他ならないと思えます。善くない甘えです。これも適切に使わないのであればその瞬間に禍根を残すことになるでしょう。では、禍根を残すことがなぜ善くないかということですが、この禍根が積もり積もれば、巡り巡って自分に良くないことが起こりかねないためです。これも処世術として利用すべき大切な言葉と言えます。対人関係は挨拶に始まってこのような気遣いの言葉・行動を怠らなく行うことでしょう。もし、何かのめぐり合わせで人間関係に亀裂が生じかけても、放置しては駄目ですが、この「すみません」「ありがとう」の精神でいくらでも修復できることと思います。世界にも稀な和や気遣いを重んじる国民性を持つ日本に生まれ感謝の気持で一杯です。
独学のすすめ
小中高と大学で皆さんは授業という形で学問を学んできたと思いますが、社会人になったら実際問題としてこの受け身の学びの習慣だけでは足りない場合があります。理系の場合も職務が研究開発や生産技術などと高度な専門性を要求されます。また、職務を遂行していく上で新たな工学問題や新領域の知識が必要になる場合があります。この様な場合、その分野の専門知識を有する技術者が職場に居ればいいですが、普通はなかなか叶わないことです。それに会社がこのための学びの場を与えてくれるケースは少ないのではないかと思います。ならば、独学となるわけです。AI時代の今はその環境が十二分に整っていると思います。独学で自分の職務の専門性を極めたいのなら、まず第一に戦略として基礎の理論武装が不可欠です。書店の専門書コーナーに出向き、自分の極めたい分野の関連書籍を手当り次第買ってみることです。それでも2から3万円もあれば十分です。この中から自分に向く基本書を設定し、読み進めます。分からない部分はAIに聞けばいいです。そして確固たる理論の骨子を自分の頭に構築することです。この際、注意すべきなのは職場の上司に自分が取り組んでいる勉強の内容の報告を忘れないことです。プライベートな時間ではありますが、この様な勉強をすることの良し悪しを念の為に伺いを立てておきましょう。これは職場の和を乱すこともあり得るからです。また、さらに自発的学びは大変な努力が必要で、しかも、強い意欲と意志が必要という点もあります。しかし、このような独学などにより自分の専門外の工学知識の修得が出来るようになれば、学際領域を含めあらゆる分野の課題に取り組めるための大切な基礎になると思います。そして自ら自発的に工学の新規分野を学ぶ姿勢そのものが、新時代を切り拓くフロンティアとしての資質であり尊いと言えるのではないでしょうか。この話には多分に私の経験や失敗の教訓も含まれており、みなさまにジャストフィットするかどうかという懸念もなくはありません。これをベースに最適な戦略・計画を立てることをおすすめ申し上げます。
負ける美学
職場で些細なことが発端で同僚や部下と酷く対立してしまった時、どうするでしょう。男同士の場合、自分が打ち負かされたら沽券に関わることに成りはしないでしょうか。引くにひけない状態です。その職場の周囲は大注目して成り行きを観察しているし、放置しても時間が経てば経つほど状況はひどくなってゆくでしょう。相手は怒っていて取り付く島もないような状況です。どう考えても自分の方が正しいと思える。こんな時、良い上司がいたなら機転を利かせて対処したりしてもらえますが、これすら期待できない時、あなたならどうしますか?相手を強引にねじ伏せようとするなら、状況はとんでもなく悪くなってしまいます。そこで、ひと呼吸置いて考えるわけです。解決の手段は直接的に言いにくい場合、暗喩(あんゆ)でも何でもいいです。難しいことですが、とにかく敢えて一歩引き下がってあっさりと折れてあげることです。どう見ても自分の言い分に非がないように思える場合にでもです。男ならばいちかばちか勝負したくなるところでしょうが、一段おとなになり負けてあげることです。こうなると相手も収まりどころを見つけ面子も立つし収まってしまうとおもいます。もちろん、業務上の論理が関わる場合は話は別で、この場合は上司に調整していただくしか手段はないと思います。このように人間関係の知恵を日常的に実践していくと、逆に周囲によるあなたの評価はかえって高まってゆくものと思います。これは極端なシミュレーションでしたが、私も常日頃、実践してゆきたいと考えております。これは確かな効果がある処世術だと思いませんか。拙文で恐縮です。
文を書くことの大切さ
会社員を辞めたすぐの頃、私は言うに言わねぬほど苦しみ人生の地獄のような日々を過ごしておりました。それは、会社員現役のときに自分の傲慢で謙虚のかけらもない諸事の行いが、毎日、鉛のように極めて重く自責の念としてのしかかってきたからです。その潰れてしまいそうな中、私は何とかペンの代わりにパソコンで、自分の行いの悪いところとその意味・理由を小論文形式にまとめるように致しました。しかし、不思議なことにこの文を書くと、薄皮を剥ぐように僅かずつですが心が楽になってゆきました。この書くという作業が底辺に居た私を導き、がんじがらめの心を解きほぐし、一歩々、自由な明るい状態へ遷移してゆくための大切な作業になったわけです。ところで正直な話、どなたでもひとつやふたつの自分の良くないと思える点をお持ちでしょう。また、何かで悩まれることもあるでしょう。そんな時、文章に書き出し冷静で分析的な心で、自分に向き合い対話してみるといいと思います。人間、真実の自分の姿を知ることが、非常に難しく尊いものであると思います。自分のことが分かれば、対処の仕道が見えてくると思います。これを、継続することに自己の向上というものがあるのだと私は三十余年の経験から言えます。
冒険のすすめ
冒険といえば難航を極める冬山の山岳登山や太平洋横断や地球の極地、更には宇宙旅行とあると思います。こうしたフィジカルな冒険ばかりではなく、知の冒険や社会での冒険もあると思います。まず、知の冒険ですが、ある辺境の学問分野において世界で唯一人研究・思索をすすめ開拓するのも冒険だと思います。こうした分野はなかなか既存の学問を推進する方達にとっては奇異に見え、足がすくんでしまうのが通常です。これを敢えて自分一人きりでも開拓してゆく。これはまさに冒険と言えるのではないでしょうか。こうした冒険的研究から新たな分野が拓けてきたりもしないとも限らないです。人類はその生命の存続のためにあらゆる分野に挑戦することが必要とされると思います。次に、社会での冒険です。これは例えば就職で企業を選ぶ際にひとの行きたがらないような部門に敢えて挑戦しようとするフロンティアになることを意味すると思います。ベンチャーを興すこともこの部類ではないでしょうか。誰も踏み入れたことのない分野で起業する。とても勇気と冒険心の要ることだと思います。これをとことん追求し成功したら正にヒーローだと称賛されるべきでしょう。ひとにはこうした極めて険しい道を探求してゆくパイオニア精神が宿っている勇気のある方が一定数存在すると思います。特に若い方にはこのような知的で困難な道を開拓するといったチャレンジ精神を持っていただきたいと思わなくないです。「寄らば大樹」という言葉もありますが、これを打ち破り新たな風を社会に通すほどの冒険心を発揮して頂ければと思います。これこそ社会貢献に繋がるのだと思えます。
夢のプログラマー
私は理美、27歳。文系の大学を出て一度、東京の企業に入り特許事務の仕事に就いたものの何か満たされないものを感じ2年で退職した。それから郷里に戻りお母さんのお手伝いが今の仕事である。しかし、毎日が単調な同じ仕事の繰り返しで飽き飽きしていた。地元のお友達と遊んでも大して楽しくもなく、ここでの暮らしに張りあいの無さを感じていた。そんな時、街の書店で気になる本を見つけた。「Juliaで始めるプログラミング入門」という本である。Julia(ジュリア)という名前がとてもかわいく洗練された感じがして手に取った。はしがきを立ち読みしてみた。そこにはC言語のように高速で科学技術に向いたフリーのプログラム言語であるということが書いてあった。理美はプログラミングには全く無縁の特許事務の仕事をしてきたが、特許申請のための理系の難解な文書にはかなり慣れがあり、薄っすらではあるが著者が述べていることが理解できた。この本にどういう訳か魅力を感じた彼女はこの本を衝動買いしてしまった。この本をパラパラめくってコードを眺めるうちに、「私もこんな魔法の呪文のようなプログラムで高校と大学の教養で習った数学をやってみたい。コンピュータを自分の思い通りに動かしたい」と思うようになり一大決心をした。お金もそんなに無いので独学しようと。攻略法を一晩寝ずに考えてみた。ホームページやAIでも検索して調べた。まずは自分でプログラムのコードを写すことが勉強になること、それに分からないところはAIに聞けば良いことも思いついた。それから2年後、彼女は地元の大学の研究室にいた。努力が実ったか知り合いの伝で、幸運にも教授からプログラミング専門の職員としてのオファーがあったためだ。今日も、彼女は教授の講義に必要なエレガントなプログラムコードを紡ぎ出し、意気揚々と自宅で待つ母とのささやかな食事を愉しむ、極めて有意義な毎日を幸福感に満ち過ごすのであった。
遊びの美学
私が20代の頃になりますが、街の歓楽街で「プール・バー」なるものがありました。ビリヤードができるバーです。友達と連れ立って入店してみるととても気になる方がビリヤードをやっておりました。お歳は40代くらいに見えますが作業服のままでとても粋にビリヤードに興じておりました。私の感じでは理系大手のエンジニアではないかと。ビリヤードを知り尽くしたように台のまわりを自信たっぷりに動き回り、サイン・コサインの玉の動きの線形計算を瞬時に頭で行い、まるで物理の問題でも解くように的確なキューさばきで次々に玉を落としてゆきます。一息ついたら、ジントニックで喉を潤し…。この姿を見た私は非常に触発されて「入るなら絶対に理系の一流会社がいい」と思いました。ある種この方の遊びの美学を見せつけられる様でした。昨今、「おやじ」とか「老害とか」言われておりますが、男も磨けば歳をとってもかっこいいものです。このように粋に遊べるようになるには、まずは仕事ができないと話になりません。そして家庭も大切にする。更に、大人として人間的に成熟していることが必要だと思います。若い方々もいずれは40,50と成ってゆくわけですが、せめて自分磨きは必要に思います。普段の何気ない所作や言動で大きく差がつくものと断言できます。若者よ、「おやじ」ではなく「ダンディ」を目指しましょう。
期待される理系とは
私立理系の実力校といえば何と言っても多少露骨では有りますが、 早慶上智に加え東京理科大でしょう。噂では、理科大は年次ごとの進級が相当に難しいと聞きます。これはすべての理系の大学にも必要なことと言え、各年次で学問を取りこぼすことなく確実に学んでゆく必要が有ります。年次が上がるほど専門性が高度になってゆくシラバスなのですから。また理系の実力は専門知識に掛かっていると断言できると思います。国立理系と対等に張り合うには、これを着実かそれ以上に学ぶ必要があろうかと思います。米国の高名なカルテックやMITなどの科学系工科大学は厳しく鍛え抜く方針を昔から採用していると聞きます。学生の時にしっかり学んでおくこと。これは先輩諸氏の皆さん異口同音におっしゃいますが、AIの時代に於いてもこれをうまく使いこなし、その一歩先あるいは更に進んだ先進的なテクノロジーを生み出すことが期待されているのです。
霊長類と気遣い
集団で行動する野生の霊長類にも気遣いのようなものが存在します。猿属にもこの習性をみることが出来ます。猿の群れには喧嘩に強いボスがいて群れを守っていますが、時々、この群れの和を乱す猿(多くは雄猿)が出てきて、何気なく群れを監視しているボスを怒らせます。この時、怒ったボスが、当事者の雄猿に威嚇をもって制すると、この雄は普通は服従のポーズをとるようです。もし、この服従の意志を表さなければボスとの対決になり、これで負けた場合は傷を負った上に群れを追い出されることになります。ボスが群れを守ってやる代わりに、群れの構成員である一般の猿たちはボスに気遣いさせられます。(この逸話は以前テレビの番組で視聴し教えて頂きました。)猿においても群れを形成し行動する場合は、前述のような群れの和を保つまるでロジックのような行動が不可欠なように、高等なすべての動物には、このようなルールを守ることが要求されます。仮に、人類に話を置き換えてみてもやはりこの掟が存在すると考えられます。自分の周りのあらゆる社会や組織を見渡してみても、このようなピラミッド型のヒエラルキーが厳然と存在します。人間社会には、要所要所で挨拶から始まって気遣い、謝罪、それに序列の遵守といった行動が欠くべからざるものとして存在していると言えます。現代は個人主義の浸透から、これらが希薄になったとはいえ何らかの組織に属する場合には、霊長類の習性からも分かるよう、この様な暗黙のルールが恒久的かつ無条件に必要なことが最近になってようやく私にも分かるようになった次第です。
恋もしないなんて
シャンプーを買うために何気なく立ち寄ったドラッグストア。レジの店員の女の子が優しく商品を袋に詰め「いつもありがとうございます」と微笑んでくれた。あれからどういう訳か彼女の顔が脳裏に浮かんでしょうがない。気立てもいいしきっととっても優しい女の子なんだろうと...。最近の若者は恋に消極的に見える。別に焦る必要はないけど、恋をするなら断然若いうちがいい。昔からよく言われるように「番茶も出花の18歳」などという言葉もある。男女が惹かれ合うには、仕方のないことだが容姿の好き嫌いも大きく関係する。それにセンスのいい車が恋愛を大きくアシストしてくれる。会社に就職したならまず格好いい車を買うべきだと思う。何しろデートし誘いやすいから。動物ではあるが小鳥たちも雄がまず居心地のいい巣作りをして、綺麗な翼を広げ雌に見せつけモーションをかける。同様に人間も男が努力して車やマンションを買うべきであろう。こうした努力もなしに結婚できない、少子高齢化だから仕方ないでは幸せになれない。生物の原則では「結婚」こそ幸せ探しの最終目的である。恋も結婚もしないで幸せを見つけようとしてもそんなもの趣味ぐらいしかないでしょう。最近なにかおかしいな。
論理的かつ独創的な文章作成法
AIは、文をつくるのに文脈の整合性を保つ目的で確率を利用していると聞きます。AIは非常に合理的で高速に概要・詳細までを知るのに適する文章ができるのは周知の所と思います。AIの威力は凄いものだと改めて痛感致します。一方、ここでは別のより人間的アプローチで独創性も含むかも知れない論理的な文の作成手法について述べてみます。恐らくですがAIのつくる文章とはかなり趣の異なるものとなると考えられます。まず第一は、設定した未知のテーマについて自分の考える構成や論理の概要をまとめ文章のプロトタイプを作ります。この段階では、その事象に対しての作成者の感性が滲み出るところで、場合によっては独創性を含むケースもあると思います。次は、これに要所要所に自分の保有する知識や辞典や文献などから既存の事実・論理を適宜、埋め込んでゆき肉付けをし太らせます。これにより一時的に発散した文章になりますが、次のステップで、この文の不整合や矛盾を徹底して取り収斂させてゆきます。加えて、この過程では文に内在する抽象性をことごとく論理に置き換える作業を行います。ここが最も時間を要し頭を使いきついところです。目指すのはこの文がひとつの収斂した論理を示唆しているものであることです。以上、持論ではありますが科学の問題を考える際に私が利用している手法で、至ってユニークですが、これが一部でもみなさまのご参考になれば幸せに思います。
スピーチができる
私は生来、スピーチが最も苦手で自分でも嫌というほど恥を重ねておりました。大学時代でも部活の部長として大勢集まる宴席などでスピーチをしなければならない場面が多々ありました。実際、その場では緊張のあまりスピーチの途中で頭が真っ白になりスピーチの趣旨が飛んでしまい、しどろもどろになる始末です。このような失態を披瀝してしまうと、部員たちの士気にも悪影響がありこれが悩みの種でした。会社員になってからは更にレベルが増して学術会議や職場の宴会や工場全体のイベントなどで数百名の前で話す機会が頻繁にありました。当然ながら、ことごとく失敗し聞き手の皆さんの失笑をかうことになり相当に悩んでいました。そこで何とかしようと一念発起し、スピーチ法について調査・探求をし、攻略に着手しました。その結果は次のとおりです。まず、ワープロで演題について話したい内容をA4一枚程にまとめました。次に、このペーパーにまとめた文をよく読み返し、これから話の骨子となる要約メモを短い文として抽出しレジュメを作成しました。仕上げとして、このレジュメを見ながら、実際にスピーチをひとりで行い、うまくゆくか何度も予行演習しました。ここまでできると気持ちも落ち着き俄然勇気が湧いてきます。あとは本番で勇気を持って、レジュメに沿ってスピーチを始めると、こんな私でもどういう訳か言葉がすらすら湧いてくるのです。そして、スピーチの成功体験を積むことが自信を強固なものにできる最大の秘訣です。最終的には、メモを使わないテーブルスピーチも難なくできるようになるはずです。そして、このような私でも実際ある県からの依頼を受け、4時間にも及ぶ講演を何とかこなせるようになれた訳です。ご参考になれば幸いです。
科学と倫理
科学者が発明する事象には、二面性が必ずあると思います。それは人類にとって有益なことと、反対に害になり得ることです。研究の当事者としては人類に善かれと思い研究を遂行し論文を発表しますが、例えば兵器転用が可能であったりするわけです。更に、研究者が全く想定しないような事態に発展することもあろうかと思います。例えば敬意を込めて申し上げます。アインシュタインは相対論よりE = mc^2という式を導き出しましたが、これにより物理学は飛躍的に発展したが、他方では兵器転用がなされ、ご本人も当時の大統領にあて遺憾の旨の書簡を送ったと聞きます。また、生物学ではDNAの発見やヒトゲノムの解析、遺伝子編集や操作などが発明されて久しいですが、これらが地球上の生物を始め人類にどのような影響を与えるかなどは予測しにくい面もあると思います。遺伝子編集などにより得られた生物が地球上の生命循環で巡り巡って偶然にもヒトに影響を与える事も考えられなくなく、このようなことは非常に想定が難しいと思います。日本は比較的に倫理観がしっかりしているように感じますが、世界中を想定した場合、どのような影響をもたらすかは計り知れないことに思えます。このように研究テーマの選定時点から充分な配慮がなされることを切に期待したいものです。
仏教のいおり
○人は誰でも一生のうちに様々な苦悩に出会います。その苦悩によって人は本当の成長を遂げるのです。作者不詳
○深海に生きる魚族のように、自ら燃えなければ何処にも光はない。 明石海人氏
○歳をとってもチャーミングな人というのは人生の道を真白い玉を汚さずに転がしてきた人達だ。 大島渚氏
○自分の心を管理する師にならなければならない。決して気ままに動く自分の心の命令に従ってはならない。 作者不詳
○何のために生まれてきたか?人を喜ばせそれを見て嬉しいと思える人生でありたい。 NHKさまより
○自己を燈火とし自己を拠りどころとするがよい。真理を燈火とし真理を拠りどころとするがよい。他のものを拠りどころとしてはならない。 作者不詳
○人の道は心にあり。心は行いに出る。 お寺より
○苦しみに遭遇したときに、一切比較しない。 釈尊
○好きなものとだけ付き合っていると自分の世界を狭くする。 民放テレビより
○死とは寿命が終わることである。これを自分でどうにかしようと思うから苦しむ。 作者不詳
○すべてに感謝できるようになって一人前。人生の後半はすべて恩返し。恩返しすればするほど、到底しきれないと思えてくる。最後は、ありがとうございます。がいいな。 坂田道信

猛禽類
鋭い眼力を持ち
精密センサーのような感覚を働かせ
極めて微弱な小動物の反応をも逃さない
上空から地表へダイブし仕留める
君は森のハンター族だね

AI Google Geminiにより生成

AI Google Geminiにより生成

AI Microsoft Copilotにより生成

AI Google Geminiにより生成

AI Microsoft Copilotにより生成

AI Google Geminiにより生成
ご鑑賞頂くにあたり
カミングアウトのようになりますが、私は小学2年生でIQ 135でした。その関係か好奇心が異常なほど旺盛な子供で機械や電気・電子に特に興味があり、今考えるととても恐ろしいような危険な電気実験を行っていました。それに言えない程、問題のある異常な実験を科学と称して小学生の頃、繰り返し行っていました。このようなことは小学校で一旦治まり、学業は低迷しながらも普通程度のレベルで少年期を過ごしました。これが大学院に入ってから研究欲が再燃し、その後採用していただいた企業さまへは私の勝手な独創的研究の仕事の関係で大変ご迷惑をお掛けすることになり申し訳なく思っております。私のこの様な素性もあり、会社を辞めてからですが人生や対人関係の有り様に悩みに悩んで自分では解決できないほど病み死にかけたこともあるほど苦しみました。ちょうどこの頃、仏教の本「般若心経入門」松原泰道著と「心」高田好胤著という本に出会い救われました、これを読破した後、独学で仏教哲学を掘り下げることに着手しました。その甲斐あって、ようやく還暦を越した今、普通ほどになれたのかなと安堵しております。みなさまに読んで頂く文章には、論理(ロジック)を重視するよう心がけておりますが、お気づきの通りかなり独創的です。このような背景を合わせてご勘案くださり、ユニークですが一般とは異なる切り口の考えであるとご承知の上、ご鑑賞くだされば幸いです。